彰邑城隍廟

彰邑城隍廟は台中市の南にある彰化県の城隍廟です。この廟はgoogleマップを最大拡大しないと出てこないので、存在を知らず、たまたま通った道に見つけました。見つけたというより、先に通り沿いにある彰邑明聖廟の存在に気づき、そのおかげで横にあるのに気づけたという感じです。

こんな細い路地が入り口になっており、私のように常にどこかに廟はないかきょろきょろしていなかったら気づかなかった可能性も高いです。

しかし、狭いのは入り口だけで、奥に入っていくと広い空間が広がり、そこに廟が建っています。

この廟の創建は清朝統治時代の雍正11年=1733年です。つまり、台北で最も古いと言われている1738年創建の艋舺龍山寺より由緒があるということになります。現在の廟は1975年に建て直されたものだそうです。

こちらが主祭神の城隍。

神像の上に「仁愛侯」と掲げられています。これは、2001年に占いで出た神託により封じられたものだとのこと。他の城隍廟にはないこの廟独自のものです。清代の志怪小説短編集『聊斎志異』には、ある男性が城隍に選ばれたとして冥界へ連れて行かれる『考城隍』という話があります。城隍というのは役職名のようなもの。例えば関聖帝君がただ一柱の神様があちこちに祀られているというのとは違い、各都市にそれぞれ守護神として存在する神様です。だからこの廟の城隍が独自の封号を持っていても問題ないのですね。

2階建てで2階もお参りできます。

入り口には大きな謝将軍と范将軍の像。この二神はほとんどの廟ではお祭りのときに人が入って練り歩く「大仙翁仔」の形で祀られています。しかしここでは固定型の像になっています。特に背が高い謝将軍の像は天井に頭がつきそうなぐらいの大きさで大迫力です。

こちらは陰間の司法官である城隍の配下として悪霊などを捕まえる役割を持った将軍たち。将軍というのは軍隊の統率者ということではなく、道教における武神や英雄神につけられる神号です。

悪霊征伐に使われる武器も飾られています。

こちらは虎将軍の椅子。2001年にこの廟の城隍が仁愛侯に封じられるまでは、虎将軍がこの位置にあり城隍の側近の役割をはたしていました。しかし、仁愛侯に封じられた後はその役目を終えたとして、近くに虎将軍を主祭神とする彰邑明聖廟が建てられ、空になった椅子だけが置かれているということらしいです。

二階の中央には観世音菩薩が祀られます。道教の廟で「観音仏祖」ではなく観世音菩薩として祀られるのはわりと珍しいと思います。

右には城隍の奥方である城隍夫人。

左側には安産の神様註生娘娘と邑主娘娘。邑主娘娘という神様はここで初めて見ました。それもそのはず、清代に彰化で起きた天地会=反清復明の秘密結社のメンバーであった林爽文が叔父の逮捕に怒って起こした反抗事件において亡くなった劉滿姑という女性が祀られているということ。ちなみに天地会は日本にも支部があって下手なこと書くと怖いのでこの事件については詳しくは書きません。

2階のすみっこには福徳正神と書かれた祭壇。ここには福徳正神以外にいろんな神像が特に法則性もなく置かれています。

わかるところだけ拾っていくと、下段右から地蔵王菩薩、中壇元帥、中壇元帥。上段右端が神農、一尊飛ばして多分関聖帝君、左端に見切れてるのが福徳正神。あとはわかりません。

道教的にはかなり偉いはずの玄天上帝。奥の冠をかぶっているのは王爺千歳のどなたかだと思います。

そして本当にびっくりしたのが猪八戒。孫悟空は斉天大聖としていろんな廟に祀られています。彰化でも南天宮に祀られておりました。しかし猪八戒とは。確かに猪八戒も地上に落とされる前は8万の天河水軍を率いる天蓬元帥だったわけですが、わりと雑な並べ方とはいえ神様の中に祀られているのは初めてみました。最初見たときはまさかと思って二度見しました。

あとこの奥に祀られている神様。確信はないしまさかとも思うんですが、恵比寿様じゃないでしょうか?掲げている右手にもとは釣り竿を持っていたんじゃないかという気もします。猪八戒を神様として祀っているぐらいだから日本の神様が紛れ込んでいても不思議ではありません。