台南駅からそれほど遠くない位置の開基陰陽公廟があるブロックから西に行くと、古い町並みが残されているらしく、路地が入り組んで迷路のようになっています。
その路地に入り込んでまんまと道に迷い、偶然見つけたのがこの廟です。
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銀同祖廟は創建道光22年=1842年。福建の同安から台南に移民してきた人たちがお金を出し合って建設しました。
同安の別名が銀同であるため、銀同の人たちの祖廟ということで銀同祖廟と呼ばれます。
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2017年に道教廟を探して萬華をうろうろしているときに見つけた王爺廟です。なんで今頃記事化しているかというと、単にめんどくさくて後回しにしていたからですね。
ここは地図で確認したのではなく、萬華をあてずっぽうに歩いているときに偶然みつけました。
佛頭港景福祠(台南景福祠)は、台南にある土地公廟の中で唯一古蹟指定を受けています。
佛頭港は、かつて台南にあった五條港のうちの一つです。
この景福祠の創建は、清朝統治時代の乾隆15年=1750年。
日本時代に現在の西門圓環を中心とした道路建設を行った影響で廟の周囲に商業地区が密集して家屋に埋もれる状態になったようです。
1994年から1995年にかけて、中国の陝西省西安市に留学しました。そのおり撮影した写真を実家で発見したので、記事にすることにしました。
このブログで初めて紹介する中国の廟であり、全真教の廟です。
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2018年に萬華の南地区を巡っていてみつけた廟です。
台北湄聖宮は、天上聖母が主祭神の媽祖廟。もともとは台北で働いていた彰化出身の人物が、鹿港天后宮、南瑤宮、福安宮などから天上聖母の分霊を受け、三重の自宅に祀っていたのが始まりとか。
1969年に現在の位置に湄聖宮として創建されました。
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台南の街をぷらぷら歩いていて見つけた廟です。台湾では古い街を歩いていればたいてい廟があります。
この記事を書くにあたり善徳堂や祀られている神明についていろいろ調べた結果、よくわからないことも多かったのであやふやな情報のまま書きます。
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台南の廟めぐりをしているとき、鄭成功が祀られた延平王祠から台南駅のほうに行こうとしてその近くに見つけた廟です。
資料によれば創建は永暦元年=1647年。南明永暦帝の即位の翌年です。
しかし、その当時は台南はまだオランダの支配下にあり、台南にいた漢人はオランダ人によって中国から連れてこられた労働者だけでした。
あるいはそんな労働者の一人がただ自室に祀っただけというのが創建の年になっている可能性はなくはないですが、鄭成功による台南占領より10年以上前の創建というのはちょっと眉唾もの。
鄭氏政権蟠踞の時代になってからできたかもしれないけれど、実際には清朝統治下にはいってから建てられたと見るのが順当でしょう。
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全臺首邑縣城隍廟の創建は康煕50年=1711年。
台湾知縣の張宏が私財をもって建てたといわれています。知縣は現代の知事とは異なり、行政権のみならず司法権、軍権まで握った権力者で、日本時代で言えば台湾総督に近い役職だと言えます。
しかし日本時代になって日本軍に接収され、陸軍病院の宿舎とされてしまいました。
総督府が、武廟など文化財的価値がある廟を保護したという都合のいい情報だけをもって、日本時代に宗教弾圧がなかったと言いはる人も存在しますが、日本時代に保護された廟などごくわずかで、総督府に接収されたり、破壊された廟のほうがはるかに多く、意図的に台湾人の信仰を弾圧していたことは明らかです。
台湾総督府が台湾の発展・近代化に功績があったのは確かなことです。とはいえ、都合のいい情報だけとりだした日本時代の過大評価は信用しないほうがいいです。
2018年に板橋の廟を巡ろうと思い、googleマップで調べて出てきたうちの一座です。
MRT板橋駅から少し北上した位置。地元の人しか歩かないような路地にあり、googleマップがなければ発見できなかったでしょう。
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萬華めぐりをしたときに萬華のはしっこ環河南路ぞいを歩いていてみつけた廟です。
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台北萬華地区の南西、新北市との境となる新店溪の近くにある廟です。
創建は1960年と比較的新しい廟。とはいってもそれは清代に創建の廟などを数多く見てきたからそう思えるだけで、すでに60年の歴史を持つという点では十分古いとも言えるでしょう。
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台中市をめぐっていたとき、ふと遠くを見ると高層の廟の屋根が見えました。
では行ってみようと、その廟の方向へ伸びている細い路地に入ってみたのです。
私は大きい通りより路地を歩くのが好きです。路地裏には大きい通りには現れない地元の人の暮らしの風景があります。
台湾の場合路地に入っても昼間ならばまず危険な目にあうことはありませんから、わりとほいほい入っていきます。
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台湾鉄道松山駅近くにある城隍廟です。
台湾が清朝統治下にあった光緒7年=1881年、台北府知府だった陳星聚が、台北城内に官営の臺北府縣城隍廟を建設しました。しかし、ほどなく台湾は日本統治下に入り、そして、臺北府縣城隍廟は、台湾総督府の常套手段である区画整理という名の下の宗教弾圧により破壊されてしまいました。
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新北市の石門四面仏金剛宮に行ったのは2018年の10月。いずれ記事化しなければと思いながらも1年以上放置してしまったのは、ここが広すぎるので書くのがめんどくさかったからです。
ただ、石門金剛宮というと日本では変なオブジェが飾ってある珍スポットのように扱うものばかりで、まともな紹介のしかたをしているものはありません。
「変な像があったおもしろーい」という知性のかけらもない記事のほうが一般受けはいいのでしょうが、道教廟を専門に扱うブログとして、一般受けはしないが宗教的にまともな記事を書くべきだろうなという思いはずっとあり、やっと金剛宮の記事を書く時間もとれたので書きます。
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台湾の道教の廟は中国からの漢人移入が早かった地域ほど多いものです。台北ではそれが萬華になります。
とはいえ萬華の廟の密度はすごいです。さすがにコンビニ密度よりは低いとはいえ、ノープランでも10分も歩けば廟にあたるといったレベルです。
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2019年の11月に、萬華の南の方でちょっと道にまよってうろうろしていたときに見つけた廟です。
この時期は、2020年の台湾総統選、立法委員選の直前にあたり、各所に立候補者ののぼりなどが立っていました。
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宜蘭へはgoogleマップで廟の位置を調べてプリントアウトしたものを持っていっていました。
そのルートにあった岳武穆王廟を目指していくと、碧霞宮という廟を発見。
なんと台湾に碧霞元君の廟があったのかと驚きました。
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台湾本島の北東部にある宜蘭は、鄭氏政権が滅んでから130年ほど経った1810年にやっと清朝の版図に組み入れられました。
ただ、清朝の領土となる以前にも漢人の入植はあったらしく、昭應宮の創建は1808年となっています。
宜蘭の漢人移民たちがお金を出し合って建てた媽祖廟が昭應宮の前身。
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一言に「道教」と言っても、実際には中国で生まれたいくつかの信仰を最大公約数的にまとめた言葉で、例えば仏教でも上座部仏教と密教とはまるで違うように、道教の中でも違う信仰の系統のものがいくつかあります。
台湾は台南を占領していた鄭氏政権が滅んだ後、清朝の版図となります。しかし、清朝が支配していたのは台湾全土ではなく、またその統治範囲も主に台湾西側から広がっていきました。
宜蘭は、清朝が台湾を統治しだした1683年から130年近く経った嘉慶十五年=1810年に清朝の支配下に入り、その3年後の1813年に宜蘭城が完成しています。
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台湾の道教廟は、台湾西部については高雄(左営)、台南、台中、新竹、桃園などを巡ってきました。それでもまだまだ行けていないところは多いとはいえ、主要な都市の重要な廟の多くを見てきたと思います。
しかし、台湾東部についてはまったくの手つかず。今回やっと東部でも台北から1時間程度で行ける宜蘭の廟の一部を巡ってくることができました。
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