三峽興隆宮

新北市三峡区の三峡老街の中心に位置し、三峽祖師廟三峡福安宮と並んで三峡区三大古廟に数えられる廟です。

興隆宮は1755年創建。福建からの移民が湄洲媽祖廟より分霊を受けて新たな土地での拠り所として作られました。

しかし、1895年に割譲された台湾を接収するため先駆けとして侵攻した日本軍近衛師団と、即席で作られた台湾民主国との間に乙未戦争が勃発。最初から台湾を守る気などない清兵で構成された台湾民主国軍を蹴散らして進撃した近衛師団は、当時三角湧と呼ばれていた三峽において義勇軍による包囲をうけ敗退、祖師廟とともにこの興隆宮も焼き討ちして撤退しました。

乙未戦争は日本では台湾征討などと呼ばれています。すでに日本の領土となった台湾に残っている清国残党を排除し、日本の統治を確立するためというタテマエで行われたもので、ネトウヨのたぐいはそれを根拠に台湾接収時において日本と台湾は戦争などしていないと主張しています。

確かに台湾民主国は泥縄的に建てられた国で、実際には台湾を有効支配したわけではなく、日本は台湾民主国に対して宣戦布告をしたわけでもありません。そういう意味では「戦争」の体をなしてはいないというのは正しいでしょう。しかし実際には清国の残党だけではなく、台湾在住漢人の義勇兵や原住民による抵抗もあり、台湾側には少なく見積もっても1万4000人の戦死者が出たと考えられています。

焼き討ちされた興隆宮は1905年に再建されました。

入り口の掲示板は贔屓の上に立てられた様式。これは中国ではよく見られ、清真寺つまりモスクにすらあるもの。

贔屓は龍生九子の長男で重いものを背負うのを好み、三山五嶽を支えていると言われる霊獣です。そのため中国では石碑の土台として贔屓の像が使われます。

台湾では石碑の土台に贔屓の像が置かれていることはほとんどなく、これはおそらくは木彫りのものだとはいえめずらしいです。

内部は広々としたというか、がらんとしています。

主祭神の天上聖母。

その横には七星橋。七星橋は厄を払い悪運を解消して平穏をもたらすと考えられています。

橋の上にも天上聖母が祀られており、ここで良運を願います。

七星橋は必ずしも媽祖が祀られているわけではなく、その廟によって違います。

七星橋を渡った先の文昌殿には文昌帝君。

さらにその隣の青玄殿は、中央に太乙救苦天尊、左右に九天生神天尊、金湯鞏固尊神、東厨司命真君、朱陵度命天尊。

まず太乙救苦天尊は別名青玄上帝ということで青玄殿。東王公の化身とも考えられていて、仏教との習合により、亡者の魂を浄土へ往生させるご利益があると言われています。『封神演義』には、哪吒の師匠の太乙真人として登場します。

九天生神天尊はググってもこの廟しか出てきません。道教経典に『洞玄靈寶自然九天生神章經』というものがありますが、これは天寶君、靈寶君、神寶君の三寶君がもともとは同一の気から生まれ、三気をもって九つの気になり云々ということが書いてあり、そこに「九天生神天尊」なる神様は登場しません。あるいは三寶君が一気に結合した神として想定されているかもしれないし、経典の題目から九天生神という神がいると勘違いしたのかもしれません。

金湯鞏固尊神はどうやら城隍爺のことのようです。ググってみると『城隍明道經』という経典がヒットしました。その中に「皈命城隍金湯鞏固大天尊」とあります。これは城隍金湯鞏固大天尊に心より帰依せよという意味でいいと思います。金湯は水銀のこと、鞏固は強固とほぼ同じ意味です。

東厨司命真君はかまどの神様です。かまどは家の東側に作るものだったそうなので東厨と言うのでしょう。

朱陵度命天尊はこの世を巡察して善事は賞し悪事は罰するだとか、太乙救苦天尊同様亡者の魂を救うだとかいったご利益の神様のようです。

次に媽祖殿の後ろを通って太子爺殿へ。

中壇元帥は五營神將のリーダーとして命令を発する立場です。

神像は中壇元帥のみ。

しかし立てられた五營旗は五營神將の軍勢がそこにいることを示します。

その横には千里眼将軍と順風耳将軍。

千里眼と順風耳の横を通って後殿へ向かいます。

後殿も無駄に広くがらんとした印象。お祭りの日などに信徒のみなさんが多く入れるようにという配慮でしょうか?

後殿中央は観音大士、八卦祖師、五路財神。

大士というのは菩薩と同義。

八卦祖師は、八卦の祖師というからには伏羲でしょう。

その横には月下老人と註生娘娘。出会いから出産まで面倒見ますという感じです。

こちらは歴代先賢。この廟を建て、守られてきた歴代の方々の位牌です。

その反対側の光明殿には、生死を司る北斗星君と南斗星君。

その隣は太歳殿。

台湾の廟では一般的に太歳星君を統べる形で、日月を両方持った斗母元君が祀られています。

ここでは、日を太陽の神格化である太陽星君、月を月の女神嫦娥である太陰星君が持って祀られています。