陶芸で有名な新北市の鶯歌から南東方面に行くと三峡区があります。その中心にあるのが三峽長福巖、通称三峡祖師廟です。三峡祖師廟は、艋舺清水巌祖師廟、淡水清水巖祖師廟、瑞芳龍巖宮巖祖師廟と並び、「大臺北四大祖師廟」とされます。
それと同時に、三峽興隆宮、三峡福安宮と合わせ、三峡区三大古廟にもなっています。
「大台北」はかつての台北県と台北市を合わせた呼び名。台北県は現在新北市となっています。
主祭神は当然清水祖師普足和尚。普足和尚は福建の安渓で数十の橋を架け、地域医療に尽くし、雨乞いに現を表したことで死後神様として信仰されるようになりました。
長福巖は清代の乾隆32年=1767年創建。1833年、地震で一部損壊したために再建。
1895年、日本の台湾領有によって台湾で起こった抵抗運動のうち、三峽で発生した分水崙戦役で日本軍は義勇兵の包囲に遭い敗退。撤退時に長福巖を焼き討ちしたといいます。そのため1899年に二度目の再建。
戦後、三峽の街長となった芸術家の李梅樹氏は三度目の再建計画をたてて募金を集め、1947年から全面修復を開始。しかし1983年に李梅樹氏が亡くなったあと再建委員会が分裂して、再建は停止されたままになっているようです。
三峡祖師廟は、精緻な彫刻の美しさなどから「東方藝術殿堂」とも呼ばれます。
正殿の天井。廟の天井は円錐状になり天界を表すものですが、このような渦巻状のものは初めて見ました。
道教の廟では美しい宗教建築や装飾、彫刻などが見られるものです。そんな中でも、この廟の装飾は見事で、さすが芸術家が計画したものだと感心します。
廟の右側の鐘楼の下には太陽星君、左側の鼓楼の下には太陰星君=嫦娥が祀られています。
本来石刻壁画が飾られる部分が素材の石のままになっています。
なので日本だと台湾のサグラダファミリアだみたいなことを書いているものもあります。でも、未完成になっているのは単に発起人が亡くなって内部分裂によって再建が頓挫しているというだけの話。
あまりにも複雑で膨大な建築と彫刻のために完成までに時間がかかっているサグラダファミリアとは事情がまったく違います。
逆光になると屋根の装飾の細かさがよくわかります。
全ての柱に彫刻が施されています。
正殿の後ろから二階に登ります。
階段を登る途中でも彫刻を鑑賞できます。
階段の壁面の彫刻。「指鹿為馬」。
秦始皇帝死後、簒奪を目論んだ宦官の趙高が二世皇帝に鹿を馬だと言って献上しました。当然皇帝はこれは鹿だと言い、周囲の臣下に聞きました。すると、趙高に媚びるために馬ですと答えるものもいれば、媚びずに鹿ですと言うものもいました。趙高は鹿だと答えた者を陥れていきました。
このエピソードが「馬鹿」の語源だとも言われています。ただそれは単なる俗説であるようです。
二階文昌殿の文昌帝君。
二階の鐘楼側から見た反対側の鼓楼。
屋根の美しさにも目を奪われます。
鼓楼側太歳殿に祀られる斗母元君と六十太歳星君。
鼓楼側からみた鐘楼。