松山慈聖宮

虎山親山歩道のどん詰まりは北星寶宮になっていて、調べるとそこからMRTの象山駅側に出るルートもあるみたいなんですが、googleマップにはそのルートが出ていませんでした。

そこで、麓に降りるルートを探したところ、来た道を引き返した慈聖宮の前から伸びる道を行けばよさそうだったので、この日最後のお参りポイントを慈聖宮と決めていました。

しかしこの廟、山道を歩いた最後に行くにはあまりにもキツい坂の上にあったのでちょっと後悔したのでした。

廟の前のプレートに王母娘娘とあるように、西王母が主祭神の廟です。その上に炉が見えます。つまり、急坂を登った上にさらに階段で登らねばならないのです。

階段を登った2階部分の中央には主に仏教のみなさん。しかし、ここは珍しく観音菩薩ではなく釈迦牟尼仏もしくは毘盧遮那仏的な仏像が中央に置かれています。その隣は観音菩薩として、反対側の隣の僧形の像はもしかしたら三蔵法師でしょうか?

ただ、福徳正神とか関聖帝君とかも置かれているので、仏教で固めているというわけではない様子。

こちらの関聖帝君の後ろにいるのは五府千歳らしいです。

そしてほぼ等身大の済公禅師。まあ知らなかったらこんな片肌脱いだおっさんが偉い禅僧とは思わないでしょう。

こちらにも済公禅師の祭壇。前にはこれも台湾で広く信仰される布袋和尚の像があります。

布袋和尚は日本では七福神の一柱ぐらいにしか認識されていないでしょうが、中華圏では弥勒菩薩の化身として信仰されているのです。この設定は沖縄には伝わっており、以前私が住んでいた近くの首里赤田町には「みるくうんけー」というお祭りがあります。「みるく」は弥勒が訛ったもの。「うんけー」はお迎えという意味で、「みるく」の扮装をした人が楽団を引き連れて首里城周囲を練り歩き、厄払いを行うのですが、その「みるく」は布袋和尚の姿をしています。

正殿はさらに階段を登った3階部分になっています。大変です。

上述の通り主祭神は西王母。はだかのおっさんは盤古ではなく神農のようです。それに太上老君と、右端の金色甲冑は三尖両刃刀を持った顕聖二郎真君。そしてここにも済公禅師がいます。

そして配神として天上聖母。天上聖母が西王母の配神にされている廟としては、他に艋舺青山宮などがあります。

西王母を守るのが二郎真君で、天上聖母を守るのが中壇元帥というのもちょっと格差をつけている感じがします。『西遊記』では中壇元帥が托塔李天王と二人がかりでもかなわなかった斉天大聖を二郎真君が追い詰めますから、武神としての格が違います。

正殿の前の広間には、こんな山奥の急坂の上にどこから集まったのか、おばちゃんたちが集まっていました。