勅建萬壽八仙宮

1994年から1995年にかけて、中国の陝西省西安市に留学しました。そのおり撮影した写真を実家で発見したので、記事にすることにしました。

このブログで初めて紹介する中国の廟であり、全真教の廟です。

なお、ネガは母に捨てられてしまっていたので、画像はプリントした写真をスキャンしたものになります。経年による劣化はデジタルで補正できますが、あえて補正しないままのほうが味があるんじゃないかと思って補正はしていません。

八仙宮は西安では有名な廟だというのはわりと最近知ったこと。留学当時は存在すら知りませんでした。

実はこの廟を発見したのはまったくの偶然。西安城壁の東に位置する唐の玄宗の住居跡地で、阿倍仲麻呂の記念碑がある興慶宮公園に行ったおり、西安城内に戻ろと歩いていて通りかかったところにありました。

西安では仏教寺院にはよく行っていたけれど、道教の廟を見たのは初めてだったので、興味をひかれて入ってみました。

まずは入場券。

中国では寺廟は例外なく入場料を取ります。

入場券の裏側に、簡単な沿革が書いてあります。

西安萬壽八仙宮は、唐の呂純陽が鍾離權と出会った「黄粱夢覚」の長安酒肆である。『咸寧県志』に、宋の時鄭生が八仙がここに顕現したのを見て、ここに庵を結び、それを祝して八仙庵と名付けたと記載されている。清光緒帝と慈禧太后は西安を訪れたおりにこの地に駐留し、勅建宮の額を賜った。故に「勅建萬壽八仙宮」と称する。

八仙宮は西北地区における道教最大の十方叢林であり、1982年に国務院により全国重点開放観に批准され、陝西省で初めての重点文物保護単位となった。

呂純陽というのは純陽真人呂洞賓のこと。

呂洞賓は唐代に実在したとされる人です。

伝説では、呂洞賓は長安の酒場で仙人の鍾離権に出会って仙人の弟子になるよう誘われます。しかし、科挙の合格を目指していた呂洞賓は断りました。

鍾離権は気を悪くするでもなく食事のために黄粱を炊き始めます。呂洞賓はその横で居眠りをして、科挙に合格するものの罪に問われて零落する夢を見ます。

しかし目覚めるとそこではまだ鍾離権が黄粱を炊いているところ。

そこで呂洞賓は栄達を求める儚さを悟り、鍾離権の弟子となって大成して仙人となった。これが「黄粱夢覚」の伝説です。

その伝説の舞台である酒場があった後に建てられたのが八仙宮だと伝えられているとか。

鄭生というのは『列仙伝』に登場する鄭交甫という人物のことらしいですね。つまり架空の人物です。鄭生がこの場所で八仙を見たために庵を建てたのが、今八仙宮になっているという言い伝えもあるとか。

実際にはいつ創建された廟なのかは不明です。全真教の廟なので、全真教が成立した宋というか金代以降に建てられた能性が高いと思われます。

まあ日本にも飛鳥時代、奈良時代に建てられたと成立年代の古さを盛り盛りにしている神社があります。

明代にあったのは確実。

西安に来た折になどとマイルドな表現になっていますが、実際のところ光緒帝は義和団の乱から西安まで逃げて行きました。そのときに滞在したのが八仙宮だというのは本当のことらしいです。

現在は文化財として保護されています。

1982年は改革開放が始まって間もない時期。文化大革命で排撃されていた宗教も、そのころから活動を許されるようになっていきます。

ところがほんの10年ほど前まで、ネットで中国の宗教の話題が出ると「共産主義は宗教を否定してるのを知らないのか!」みたいなことを必死で唱えているバカなネトウヨが存在しました。

宗教施設は全て破壊されたなんていうことを言っているアホも本当にいました。

確かに紅衛兵によって破壊された宗教施設もありました。洛陽の龍門石窟の石仏は顔が削られたりしているし、特に孔廟などは批林批孔の影響で壊されたところも多かったようです。

でもまあ中国に存在する全ての宗教施設を破壊するなんていうのは不可能なことだし、破壊されずに共産党に接収されて利用された寺廟も多かったです。少林寺や白雲観では、僧や道士が貴重な経典・道蔵を燃やしたふりをして密かに隠して守ったといいます。

要するに、文化大革命を経てもなお中国の宗教は生き残ったし、改革開放後は宗教もある程度存在を許容されています。ある程度というのは中共に逆らわない範囲でという意味で、逆らった法輪功は取り潰され、共産党を否定するキリスト教などは弾圧されています。でもまあ、歴史的に弾圧されつつ生き残ってきた道教や仏教は、わりあいうまく中共に取り入ってそれなりにうまくやっています。

ちなみに日本では明治政府の神仏分離を受けて廃仏毀釈運動によって寺や仏像が破壊されたり、僧侶が強制的に還俗させられたりしました。田舎の方に行くとそのとき壊された仏像がけっこう残ってますね。

八仙宮の牌楼を入ると、土産物屋などが並んでいます。

人が集まり、けっこうな賑わいを見せていたことをなんとなく覚えています。

廟内に入ると、正殿へ向かう急角度の石橋。

この八卦をかたどった囲みは石橋を渡ったところにあった気がします。ただ、これが何だったのかは覚えていません。

八仙宮の正殿。主祭神は呂洞賓のはず。このときは正殿内までは入りませんでした。

八仙宮で修行する道士。伸ばした髪を頭上で髷にしています。

全真教は仏教の影響が強く、道士は出家します。それに対して正一教には出家システムはなく、道士は妻帯できます。そもそも正一教の場合教祖の張天師は本当に血の繋がりがあったかどうかは措くとして建前上世襲制なので当然妻帯するわけです。

拝拝をする人はけっこういました。

私が留学していた当時、路上で先祖に捧げる紙銭を燃やす光景は度々目にするものでした。およそ10年の文化大革命では、中国人から伝統的な信仰心を消し去ることはできなかったわけです。

正殿前の獅子。

あとはもう廟のどこに何があったかという記憶はありません。

扉に付く鋪首。鋪首は魔除けの意味があり、多くは饕餮がデザインされます。でもこれは額に王の字があって猫っぽいので虎だと思われます。

その扉の下の獅子。虎と獅子で守ってるなら完璧なガードです。

こちらは石に彫られた獅子で、その下は縁起物の蝙蝠です。

ここに紹介したのは、1995年の萬壽八仙宮の様子です。現在は違う様子になっていると思われます。