昭應宮

台湾本島の北東部にある宜蘭は、鄭氏政権が滅んでから130年ほど経った1810年にやっと清朝の版図に組み入れられました。

ただ、清朝の領土となる以前にも漢人の入植はあったらしく、昭應宮の創建は1808年となっています。

宜蘭の漢人移民たちがお金を出し合って建てた媽祖廟が昭應宮の前身。

その2年後に宜蘭が正式に清朝の版図となった後、台湾知府だった楊廷理の上奏により勅許を得て敕建廟として公式に建設されました。

敕建廟としての落成は1812年。こちらを正式な創建年としても、宜蘭城隍廟よりさらに古い廟だということになります。

度重なる再建を経て、現在の建物は1990年に建てられたものだそうです。

門前で何かが燃やされていました。おそらく紙銭だと思われます。

卑南鎮海後軍張兆連提督による扁額。

美術館や博物館に収蔵されていてもおかしくないような書を鑑賞できるのも道教廟の魅力の一つです。

山川殿に入ると千里眼と順風耳の両将軍がお出迎え。

この二神がいるだけでここが媽祖廟だということがわかります。

門神はおそらく秦叔宝と尉遅敬徳。

海の守り神である媽祖は、本来海に向けて祀られるもの。

ところが、昭應宮の天上聖母は、台湾で唯一海に背を向けて山を向いているとのこと。

道光14年=1834年、ある占い師が廟を西向きに建て直せば、宜蘭から挙人や進士が出るであろうと占ったので、そのようにすると、果たして本当に宜蘭から挙人や進士が出たなどという伝説が伝わっています。

宜蘭は台湾本島の東側にあるので、西向きにすれば当然太平洋に背を向けて山側を向くことになります。

後殿には観音大士。その前には関聖帝君などの姿が見えます。

右には註生娘娘。その横には、なぜか註生娘娘よりもはるかに神位が高い西王母が添えられています。

左側には福徳正神。

この後殿には、日本統治時代の民主活動家で、宜蘭出身である蒋渭水が、讀報社という抗日運動の拠点を置いています。

蒋渭水は日本が台湾を領有する7年前の1890年に宜蘭で生まれました。

1910年に、台湾で初めての公立医学校・台湾総督府医学校に入学。その翌年、中国では辛亥革命が勃発し、蒋は義援金を集めて革命を支持しました。

1914年、後に貴族院議員となる林献堂が板垣退助を台湾へ招待。蒋渭水は、板垣の呼びかけによって林献堂とともに台湾同化会を設立しました。台湾人の地位向上を求めた台湾同化会は台湾総督府によって解散させられています。

しかし、1921年には、再び林献堂とともに台湾文化協会を設立し、台湾人の権利拡大運動などを行っています。

1927年には台湾民衆党を結党。台湾人の自治、言論の自由を求める活動を行うとともに、台湾総督府のアヘン専売、そして総督府による原住民虐殺事件である霧社事件を国際社会に訴えました。

この台湾民衆党も、1931年に総督府によって解散させられています。蒋渭水は、その1931年に40歳という若さで病没しました。

蒋渭水の事績を知ってわかることは、日本統治下の台湾は、日本の保守派・右派の連中が都合のいいところだけつまんで紹介しているような仁政が行われていたわけではないということです。

二階に上がると水仙尊王が祀られています。

手前に見えるのは太乙救苦天尊。またの名を太乙真人。

『封神演義』では、哪吒の名付け親であり、また一度死んだ哪吒を蘇らせた仙人です。

その前の蓮の台に坐るのは、蓮の花を肉体として蘇った哪吒でしょう。

その向こうには、火尖槍を構えたよく見る哪吒がいます。

反対側から。

玄通祖師は、媽祖がまだ人間の林默娘だったときに道術を授けた道士。

水仙尊王の来歴にはたくさんの設定があって、禹の化身とするのはその設定のうちの一つです。

その後ろには三官大帝。

三官大帝の一柱・下元解厄水官大帝もまた禹の化身だという設定があり、ここではどちらも禹の化身である水神だということになっているのでしょう。

ただし、台湾の多くの廟では、三官大帝は天界神、水仙尊王は天上聖母の配下の水神として別の存在にされています。

二階の一方には、宜蘭を開発した開蘭三大老が祀られています。

まず、楊廷理は清代の台湾知府。どうも、宜蘭が清朝の版図に入ったのも楊廷理の功績によるものらしいです。海賊や、秘密結社天地会などを平定し、治安の向上につとめ、宜蘭の開拓を進めました。

翟淦は台湾北部の内政官。宜蘭の開発に功があったとは言うものの、どんな功績だったのか情報がみつかりません。陳蒸は海防と理番を兼務したということで、海賊退治や原住民対策に功があったのではないかと思われます。

要するに、福建の開漳聖王のように地方発展に功績があったローカルな神様なのでしょう。

反対側には地府の支配者東嶽大帝。その横には、天醫真人=孫思邈。そして、廣救真人。

廣救真人は、仏説○○という仏典を模して作られた『太上老君說天妃救苦靈驗經』に、質問役として出てくる神様で、それ意外のところには出てこないかなり限定的なキャラ。私自身はここでしか見たことがないURぐらいのレアキャラです。