基隆護国城隍廟

基隆護国城隍廟は基隆駅のすぐ近くにある城隍廟です。

台湾鉄道基隆駅を出ると、すぐ目の前には港が広がります。

基隆は17世紀初頭からすでに港町になっていました。

しかし、水深が浅かったため、日本時代に入って日本からの人員・建築素材などを運び入れるために海を掘削し、喫水が深い大型船でも入港できる港に改造されました。

ここにはたいていビルのような大型クルーズ船が停泊しており、駅前から伸びる忠一路の海側にはウッドデッキが作られています。

そのウッドデッキから海の反対側をみると城隍廟があります。

港を見たくて港側に先に行きましたが、城隍廟に行くにはここの左側にある横断歩道を渡った後に、さらに地下道で道を横切らないといけないのでちょっと失敗でした。

この城隍廟は清代の1887年創建。城隍爺は固有の神名でなはなく神様の官名であり、いろんな人が死後に城隍爺に任じられてその都市の守護神の役割を果たします。清代の短編志怪小説集『聊斎誌異』には、作者・蒲松齢の義兄の祖父が城隍爺に選ばれる『考城隍』という一編があります。

基隆の城隍爺になったといわれているのが、清代に置かれた地方行政府「基隆庁」の長であった包容。清廉で地元のために尽くした人物で、病に倒れた後に基隆の守護神とされたとのことです。立派な人物を神様にするのはいいけれど、休ませてさしあげたらどうなんですかね?

こちらは城隍に仕える謝将軍、范将軍、牛頭将軍、馬面将軍、金枷将軍、銀鎖将軍の六将。彼らは死者を城隍の前に引き立てる役割を持ちます。神様というより神様に仕える鬼卒です。牛頭将軍と馬面将軍は仏教の設定にある地獄の羅刹「牛頭馬頭」のパクリです。

一方こちらは延壽司、增祿司、速報司、糾察司、獎善司、罰惡司の六司。司法神でもある城隍を補佐する事務方といった存在です。

しかし、なんで主祭神より部下たちのほうが像が立派なんですかねえ?