全臺首邑縣城隍廟

全臺首邑縣城隍廟の創建は康煕50年=1711年。

台湾知縣の張宏が私財をもって建てたといわれています。知縣は現代の知事とは異なり、行政権のみならず司法権、軍権まで握った権力者で、日本時代で言えば台湾総督に近い役職だと言えます。

しかし日本時代になって日本軍に接収され、陸軍病院の宿舎とされてしまいました。

総督府が、武廟など文化財的価値がある廟を保護したという都合のいい情報だけをもって、日本時代に宗教弾圧がなかったと言いはる人も存在しますが、日本時代に保護された廟などごくわずかで、総督府に接収されたり、破壊された廟のほうがはるかに多く、意図的に台湾人の信仰を弾圧していたことは明らかです。

台湾総督府が台湾の発展・近代化に功績があったのは確かなことです。とはいえ、都合のいい情報だけとりだした日本時代の過大評価は信用しないほうがいいです。

明治41年=1908年、地域の信仰の場を奪われた人たちの募金が集まり、現在の場所の土地が購われて城隍廟が再建されました。

現在の建物は1980年に建て直されたものです。

廟内にかけられた扁額から歴史の古さがうかがわれます。

まず廟の中央に祀られた主祭神の城隍爺。

主祭神より立派な七爺八爺に守られています。

その向かいの門の上に掲げられたそろばん。

これは城隍廟ではおなじみのものであり、城隍爺が死者の功過ポイントを計算して裁くためのものです。

城隍爺の左右には、二十四司を始めとした城隍爺配下の裁判団が並びます。

尤も、城隍爺の裁判に弁護人などは存在せず、裁判団は検察と裁判員を兼ねています。とはいえ、そのへんは大岡忠相が司法改革をする以前の日本よりはだいぶまし。現在の中共による形だけの裁判よりはるかにましです。

こちらは戦後に増築された地蔵殿。地蔵王菩薩は道教の設定では地府の管轄者です。

他の廟だと中壇元帥がいそうなところを守っているのは「鎮魘大神」。

日本では、奈良時代に聖武天皇の娘である井上内親王が、光仁天皇の姉である難波内親王を呪詛して殺したという現代の感覚からすれば頭がおかしいとしか思えない「魘魅大逆」の罪で裁かれています。

魘はまた悪夢という意味もあります。

鎮魘というのは悪夢を鎮めるというのと、悪夢を見せる悪鬼を鎮めるという両方の意味があると思われます。

ちなみにこの鎮魘大神。調べてみたところこの首邑縣城隍廟のみに祀られているレアな独自設定の神様であるようです。

そして、廟のすみっこには臨水夫人と註生娘娘。

ともに女性の守り神ではありますが、註生娘娘が子宝、安産など限られた時点の守り神であるのに対し、臨水夫人はより広く女性そのものを守るといった性格がある女神です。