宜蘭新民堂

台湾の廟を巡るときは、まずgoogleマップに目的地+廟と打ち込んで、出てきた結果からルートを決めます。

今回の宜蘭巡りでは、この新民堂はマップ上に表示されなかったため、まったくのノーチェックでした。

宜蘭で最も古いと考えられる媽祖廟・昭應宮を拜拜し、その前の道を宜蘭駅に向かって行ったところにあったので、ついでに寄ってみたという感じです。

ところが、帰国後調べてみると、この新民堂は台湾宗教史において非常に重要な宮廟であることがわかりました。

台湾で○○堂とついている廟は、鸞堂恩主信仰系です。

鸞堂系の廟が必ずしも○○堂というわけではなく、台北の行天宮に代表されるように、○○宮、○○廟とついているところもあります。

しかし、○○堂となっている廟は、例外なく鸞堂系です。

だからここが鸞堂信仰の廟であることは訪れた時点でわかりました。

主祭神の像がちゃんと写った画像がありません。

主祭神の神名は、雷都光耀大帝李恩主です。

扁額に「西泰」とあり、李恩主となっていることから、私はてっきり王爺千歳信仰における西泰王爺。つまり玄宗李隆基のことだと思っていました。

しかし実際には、李觀濤という人物のようです。

李觀濤は商最後の王・帝辛(紂王)の代の法律家だったものの、王が無道であるために隠居をし、周がたった後に武王、周公旦に請われても出仕しなかったという人。

ただ、酒池肉林などといった「紂王の無道」は周が流したプロパガンダに過ぎないことがわかっているので、この話も創作に過ぎません。

李觀濤は後に成仙したことになっています。

主祭神の前の像は、向かって左から雷恩師、関聖帝君、馬恩師、何恩師。

関聖帝君以外は李觀濤とともに修行をして仙人になった人たちだと言います。

なぜこの新民堂が台湾の宗教史で重要なのか?

それは、新民堂が台湾で最初の鸞堂の道場だからです。

宜蘭出身の挙人・李望洋なる人が、甘粛で知州を努めたのち、帰郷したおりに、甘粛で行われていた鸞堂信仰も伝えた。それが新民堂の始まりであり、また台湾での鸞堂信仰の始まりでもあるそうです。

台北の覺修宮、覺修宮から分霊を受けた行天宮も、もとを辿れば新民堂に行き着きます。

鸞堂は、道教の一部宗派で行われていた占い「扶鸞(扶乩)」に端を発します。

鸞は道教の女神の中で最高位である西王母のペットの鳥。鸞が神託を携えて降りてくるというのが扶鸞です。

そして、扶鸞で神託を与えるのが、道教の神や中国のいにしえの聖人、偉人たち。そこから主に篤く信仰を受ける神、聖人、人を「恩主」として祀るようにもなりました。

鸞堂はまた「儒宗神教」。儒家の系統の信仰とされることもあります。

しかし、その成り立ちから道教の系統であることは明らか。

ここにも道教の本来の最高神である三清が祀られています。

こちらには福徳正神。

下には、虎爺と馬爺がいっしょに祀られています。普通は別々に、対照的に祀られるものです。

いっしょにして食べられないんでしょうかね?

太歳星君の位牌。

太歳星君は干支に合わせて60柱いるので、狭い廟ではだいたい位牌で祀られます。

位牌は本来儒教の元となった中国古代からの祭具でした。

仏教が入る前の中国では、人は死ぬと肉体と魂が分離すると考えました。

そして、肉体を保存し、魂を一時的に保護して子孫が祀れば、いずれ魂は肉体にもどって蘇るという信仰が生まれました。

位牌は復活までの間に魂を宿らせておく仮住まいです。本来仏教とはなんの関係もありません。

そもそも仏教では魂は死後49日経つと転生すると考えるので仮住まいなど必要としないのです。もちろん肉体のほうの保存施設である墓も無用です。

日本人が仏教だと思っている葬式業者は、僧侶のコスプレをした儒家式葬儀屋だと言えます。

道教においては位牌は神名を記し、神像のかわりに祀る祭具として用いられています。

こちらは新民堂に功があった人々の位牌。

こちらは観音菩薩。