澤安宮

豬屠口「廟街」の中の一つです。

主祭神は三山國王。これは、広東省にある巾山、明山、獨山という三座の山の神様です。山に宿る神様というのは日本人にはわかりやすいのではないでしょうか?

もともとはこの山々を北に望む一地方の地方神であったものが、北宋初期に反乱制圧に功があったとのことで、宋の太宗より、巾山國王は清化威德報國王、明山國王は助政明肅寧國王、獨山國王は惠威弘應豐國王という神号を賜って「三山國王」として合祀されるようになったそうです。

三山國王は同じく広東省の潮州客家にも信仰され、客家人移民とともに台湾に伝えられました。

しかし、豬屠口は福建からの移民である河洛系台湾人の町です。ではなぜそこに客家人が信仰する神様が祀られる廟があるかというと、戦後台湾中部で洪水が起きたときに神像がどこかから流れてきたものを台北に移住しようとしていた人が発見し、そのまま台北まで連れてきてお祀りしたからだとか。ちなみにこの情報のソースは、ネットで見つけた台湾の中学生が調べたレポートです。

ここにもやっぱり中壇元帥軍団。

黒いのは王爺千歳のどなたかで、左手で印を結んでいるのはおそらく玄天上帝。

でも三山國王が広東の地方神だったのに対して、中壇元帥や玄天上帝は道教の中でも位が上の神様なんですよね。設定によっては中壇元帥は玄天上帝の配下です。それなのにこの扱いはどうなのよと思わないでもありません。あんまり気にしてないのかもしれませんけど。私はよく「日本人は細かいこと気にしすぎ」と言われます。

二階は仏祖殿。観音仏祖が祀られます。ここの像はもう仏教的要素はほとんどなくてすっかり道教神のイメージで作られていますね。もっとも、まるで原型がないという点では仏教経由で伝わったヒンドゥー教の神である哪吒のほうが顕著です。

ところで以前本屋で観音菩薩はマリア信仰が東に伝わってできたみたいなこと書いてる本を立ち読みして噴いたことがあります。他にも観音菩薩のルーツがギリシャの女神だとか言っている人もいるようです。

でも、観音菩薩が女性だというイメージが定着したのは中国に伝わって以降です。インドでアヴァローキテーシュヴァラという菩薩の設定ができたときはおそらく男性だったろうと考えられています。つまり、中国で作られたイメージで観音菩薩のルーツを考えるのは的外れにも程があるということです。

仏祖殿からの眺め。そういえばこことすぐそばにある朝安宮は北向きになっています。

左に見えるのが樹德公園。正面の屋根がかけてあるところは太子廟「民聖堂」です。民聖堂も撮影してありますが、記事にする予定はありません。なのでついでに民聖堂の画像も載せておきます。

道の片隅にスペースあったから誰か祀っとけみたいなノリを感じる廟です。豬屠口で中壇元帥が主祭神の廟ですというぐらいしか書くことがないので記事にできないんですよね。