朱厝崙福聚宮

台湾に無数にある夜市。そのほとんどは廟と密接に結びついています。

信仰を集める廟には人が集まり、人が集まるところには商品が集まる。この点は日本の門前町なども似たようなものです。
続きを読む →

台北湄聖宮

2018年に萬華の南地区を巡っていてみつけた廟です。

台北湄聖宮は、天上聖母が主祭神の媽祖廟。もともとは台北で働いていた彰化出身の人物が、鹿港天后宮、南瑤宮、福安宮などから天上聖母の分霊を受け、三重の自宅に祀っていたのが始まりとか。

1969年に現在の位置に湄聖宮として創建されました。
続きを読む →

善徳堂

台南の街をぷらぷら歩いていて見つけた廟です。台湾では古い街を歩いていればたいてい廟があります。

この記事を書くにあたり善徳堂や祀られている神明についていろいろ調べた結果、よくわからないことも多かったのであやふやな情報のまま書きます。
続きを読む →

中和境北極殿

台南北極殿は、台湾首廟天壇の近くにある非常に古い廟です。台湾の文化遺産にも指定されている文化財でもあります。

現在は家屋の間に押し込められるように佇んでいますが、かつてはこの一帯を敷地とする威勢を誇る廟だったようです。

続きを読む →

府城馬公廟

台南の廟めぐりをしているとき、鄭成功が祀られた延平王祠から台南駅のほうに行こうとしてその近くに見つけた廟です。

資料によれば創建は永曆元年=1647年。南明永暦帝の即位の翌年です。

しかし、その当時は台南はまだオランダの支配下にあり、台南にいた漢人はオランダ人によって中国から連れてこられた労働者だけでした。

あるいはそんな労働者の一人がただ自室に祀っただけというのが創建の年になっている可能性はなくはないですが、鄭成功による台南占領より10年以上前の創建というのはちょっと眉唾もの。

鄭氏政権蟠踞の時代になってからできたかもしれないけれど、実際には清朝統治下にはいってから建てられたと見るのが順当でしょう。
続きを読む →

全臺首邑縣城隍廟

全臺首邑縣城隍廟の創建は康煕50年=1711年。

台湾知縣の張宏が私財をもって建てたといわれています。知縣は現代の知事とは異なり、行政権のみならず司法権、軍権まで握った権力者で、日本時代で言えば台湾総督に近い役職だと言えます。

しかし日本時代になって日本軍に接収され、陸軍病院の宿舎とされてしまいました。

総督府が、武廟など文化財的価値がある廟を保護したという都合のいい情報だけをもって、日本時代に宗教弾圧がなかったと言いはる人も存在しますが、日本時代に保護された廟などごくわずかで、総督府に接収されたり、破壊された廟のほうがはるかに多く、意図的に台湾人の信仰を弾圧していたことは明らかです。

台湾総督府が台湾の発展・近代化に功績があったのは確かなことです。とはいえ、都合のいい情報だけとりだした日本時代の過大評価は信用しないほうがいいです。

続きを読む →

板橋接源堂

2018年に板橋の廟を巡ろうと思い、googleマップで調べて出てきたうちの一座です。

MRT板橋駅から少し北上した位置。地元の人しか歩かないような路地にあり、googleマップがなければ発見できなかったでしょう。
続きを読む →

艋舺青龍宮

台北萬華地区の南西、新北市との境となる新店溪の近くにある廟です。

創建は1960年と比較的新しい廟。とはいってもそれは清代に創建の廟などを数多く見てきたからそう思えるだけで、すでに60年の歴史を持つという点では十分古いとも言えるでしょう。
続きを読む →

臺南金華府

台南市西部、港にもほど近い一角は、かつて南勢港の北側にあるため北勢街と呼ばれていました。

現在は、通りの突き当りに藥王廟があるため神農街という名称に変わっています。

神農街は今、ちょっとしたレトロモダンなオサレスポットとして注目されていますがそんなことはどうでもいいです。

臺南金華府は、神農街の入り口近くにあります。
続きを読む →

保民宮

台中市をめぐっていたとき、ふと遠くを見ると高層の廟の屋根が見えました。

では行ってみようと、その廟の方向へ伸びている細い路地に入ってみたのです。

私は大きい通りより路地を歩くのが好きです。路地裏には大きい通りには現れない地元の人の暮らしの風景があります。

台湾の場合路地に入っても昼間ならばまず危険な目にあうことはありませんから、わりとほいほい入っていきます。
続きを読む →

台北府城隍廟

台湾鉄道松山駅近くにある城隍廟です。

台湾が清朝統治下にあった光緒7年=1881年、台北府知府だった陳星聚が、台北城内に官営の臺北府縣城隍廟を建設しました。しかし、ほどなく台湾は日本統治下に入り、そして、臺北府縣城隍廟は、台湾総督府の常套手段である区画整理という名の下の宗教弾圧により破壊されてしまいました。
続きを読む →

石門四面仏金剛宮

新北市の石門四面仏金剛宮に行ったのは2018年の10月。いずれ記事化しなければと思いながらも1年以上放置してしまったのは、ここが広すぎるので書くのがめんどくさかったからです。

もう一つやっている台湾関連のブログでかなり詳しく紹介したので、もういいやとなっていたという理由もあります。
続きを読む →

艋舺照天宮

台湾の道教の廟は中国からの漢人移入が早かった地域ほど多いものです。台北ではそれが萬華になります。

とはいえ萬華の廟の密度はすごいです。さすがにコンビニ密度よりは低いとはいえ、ノープランでも10分も歩けば廟にあたるといったレベルです。
続きを読む →

艋舺有應公廟

2019年の11月に、萬華の南の方でちょっと道にまよってうろうろしていたときに見つけた廟です。

この時期は、2020年の台湾総統選、立法委員選の直前にあたり、各所に立候補者ののぼりなどが立っていました。
続きを読む →

西關廟

浅草の浅草寺には、飛鳥時代にある漁師が川で観音像を網にひっかけ、それを供養して寺にしたのが始まりだといういかにも嘘くさい伝説があります。

台湾にもそれと似たような話があるようで。
続きを読む →

碧霞宮

宜蘭へはgoogleマップで廟の位置を調べてプリントアウトしたものを持っていっていました。

そのルートにあった岳武穆王廟を目指していくと、碧霞宮という廟を発見。

なんと台湾に碧霞元君の廟があったのかと驚きました。
続きを読む →

宜蘭文昌廟

宜蘭市街内には通りに面して建つ廟が由来となった通りの名前がいくつかあります。

文昌路もその一つ。文昌路というからにはもちろんそこに建つのは文昌帝君の廟です。
続きを読む →

宜蘭新民堂

台湾の廟を巡るときは、まずgoogleマップに目的地+廟と打ち込んで、出てきた結果からルートを決めます。

今回の宜蘭巡りでは、この新民堂はマップ上に表示されなかったため、まったくのノーチェックでした。

宜蘭で最も古いと考えられる媽祖廟・昭應宮を拜拜し、その前の道を宜蘭駅に向かって行ったところにあったので、ついでに寄ってみたという感じです。
続きを読む →

昭應宮

台湾本島の北東部にある宜蘭は、鄭氏政権が滅んでから130年ほど経った1810年にやっと清朝の版図に組み入れられました。

ただ、清朝の領土となる以前にも漢人の入植はあったらしく、昭應宮の創建は1808年となっています。

宜蘭の漢人移民たちがお金を出し合って建てた媽祖廟が昭應宮の前身。
続きを読む →

宜蘭感應宮

一言に「道教」と言っても、それは実際には中国で生まれたいくつかの信仰を最大公約数的にまとめた言葉で、例えば仏教でも上座部仏教と密教とはまるで違うように、道教の中でも違う信仰の系統のものがいくつかあります。

続きを読む →

宜蘭城隍廟

台湾は台南を占領していた鄭氏政権が滅んだ後、清朝の版図となります。しかし、清朝が支配していたのは台湾全土ではなく、またその統治範囲も主に台湾西側から広がっていきました。

宜蘭は、清朝が台湾を統治しだした1683年から130年近く経った嘉慶十五年=1810年に清朝の支配下に入り、その3年後の1813年に宜蘭城が完成しています。
続きを読む →

宜蘭東嶽廟

台湾の道教廟は、台湾西部については高雄(左営)、台南、台中、新竹、桃園などを巡ってきました。それでもまだまだ行けていないところは多いとはいえ、主要な都市の重要な廟の多くを見てきたと思います。

しかし、台湾東部についてはまったくの手つかず。今回やっと東部でも台北から1時間程度で行ける宜蘭の廟の一部を巡ってくることができました。
続きを読む →

瑞芳龍巖宮

日本人にも人気の観光地・九份への起点として知られる瑞芳駅。

瑞芳龍巖宮は、瑞芳駅から徒歩5分ほどのところにある清水祖師廟です。

瑞芳祖師廟とも呼ばれ、艋舺清水巌祖師廟三峽長福巖祖師廟淡水清水巖祖師廟と併せ「大臺北四大祖師廟」として数えられます。

大台北は台北市と台北県をあわせた地域のこと。台北県は現在は新北市となっています。
続きを読む →

廣照宮

台北で道教の廟に行きたかったら萬華ほどふさわしいところはありません。探さなくても歩いているだけでそこかしこに廟があります。

廣照宮はそんな萬華の廟の中でも特別です。主祭神の飛天大聖は、台湾広しといえどもおそらくこの廟にしか祀られていない神様だと思われます。

続きを読む →

台中市太子宮

台湾では北から南まで哪吒三太子の人気が高く、中壇元帥の像を見つけるのはたやすいことです。

ただ、そんなに人気があるにも関わらず、哪吒が主祭神となる太子宮はわりとレアな存在。台北でも私が知っている範囲では五座ほどしかないです。

続きを読む →

靈聖宮

台中の街を廟めぐりしているとき、ある路地に入るとその先に大きな廟の屋根が見えました。屋根を目印に向かっていった先にあったのがこの靈聖宮です。

続きを読む →

萬春宮

1721年に台湾南部を拠点にして当時台湾を統治していた清朝に対し反乱を起こした朱一貴は、朱一貴と同じく福建漳州出身の藍廷珍将軍に討伐されました。

その功により台湾駐留軍の総監となった藍廷珍は、台中を拠点に周辺の農地開拓を進めます。そのとき、台中周辺に多かった漳州からの移民のために中国から将来したのが、輔順将軍と天上聖母です。

続きを読む →

台中順天宮輔順将軍廟

この記事が150件目になるようです。しかし記事化していない廟はまだ倍以上あります。まだ行っていない廟はたくさんあるし、一生紹介しきれないと思います。

台中に初めて行ったのが2004年のこと。有名な中華路夜市に行った帰りに迷い込むようにして見つけたのが台中順天宮輔順将軍廟でした。

それから14年も経った2018年に再訪がかないました。

続きを読む →