板橋慈恵宮

「板橋媽」の愛称で親しまれる媽祖廟です。

MRT板南線の府中駅から歩いてすぐ。廟の前の交差点にでっかい看板がかかっています。

よく台湾のネタで板橋駅のとなりに府中駅があってどうこうって話がありますけど、スレてくると別に普通のことなので、そういうので面白がれる台湾にスレてない人はうらやましいなとおもいます。

公式サイトによれば創建は清朝統治時代の1854年。ただ、wikiでは郷土資料を根拠に1860年創建となっています。その後何度かの改修やら建て増しやらしているために古跡指定はうけていないということですが、台湾の廟は生きた信仰のための施設であって、京都やら鎌倉やら日光やらの金取って見世物にする商売やってる寺社とは根本的に違うので問題ありません。

天上聖母を守るようにそびえ立つ千里眼将軍と順風耳将軍の像は3mあるそうです。

こちらは五年千歳と五府千歳。どちらも天帝より悪病や悪霊を討つ代天巡狩の任を受けた地上警備の神様で、五年千歳は十二支などに神様が割り振られて5年毎にお祭りをするようです。で、公式サイトによるとここに祀られているのは五年千歳のうち盧府千?。

盧府千?はどなたかといえば、どうやら扁鵲のようです。扁鵲は春秋時代の人と伝えられる伝説の名医。武力的に疫神を討つというより、医術によって治すという役割なのでしょう。医神としては華陀や保生大帝がよく見られますが、扁鵲が祀られているのは初めてみました。

五府千歳のほうは、朱・池・李千歳に加え呉府千歳と范府千歳。李大亮、池夢彪、呉孝寬、朱叔裕、范承業という義兄弟の契りを結んだ唐高祖、唐太宗についた唐建国の功臣たちです。

1階正殿のお参りが済んだら、この階段を登ってまず3階に登ります。

登ったところには中壇元帥の大仙尪仔。中壇元帥はほとんどが童子のイメージで、たまに三面六臂フォームになった像もみかけることがありますが、こういう大人の男性のイメージで作られている人形は珍しいと思います。

となりには顕聖二郎真君。二柱とも天界で暴れる斉天大聖の討伐で活躍しました。

3階は凌霄寶殿。玉皇大帝の玉座があります。

玉皇大帝をお参りしたら2階に降ります。

2階ではまず地蔵王をお参り。

続いて2階でも天上聖母をお参りします。

おみくじ。私がお参りしたときは、非常に熱心に天上聖母に祈ってはおみくじをひく男性がいました。台湾人にとっておみくじとは神意を測るもので、日本のおみくじのようなお手軽なものではありませんし、自分にとって悪いものが出ても神意であるゆえ真剣に受け止めて、悪い占いは信じないなどといういいかげんなことはしません。

ふつう虎爺といえばテーブルの下などにおしこめられているもの。でもここはとても立派な祭殿に祀ってもらっています。

2階の媽祖殿の裏側は三官大帝。三官大帝というとその廟の最高神の前に並んでいる神様というイメージがあります。こうして三官大帝単独で祭壇を与えられているのは私が見た中では多分ここだけ。

その隣は才光明仏。浄土三部経の一部である『無量寿経』では、阿弥陀如来の師である世自在王如来の前に五十三仏があったという設定を作りました。才光明仏はそのうちの28番目の如来。なんで28番目だけ祀られているのかは不明です。

ここからは建て増しされた新しいほうをお参りすることになります。まずこちらは湄洲三聖母。といっても三柱とも天上聖母です。湄洲というのは福建の湄洲島のことで、媽祖信仰の発祥地とも言われています。台湾の媽祖廟は湄洲の媽祖廟から分霊を受けているところがあり、ここもそのうちの一座です。

そして左右には関聖帝君と文昌帝君。

文昌帝君がいるので文昌筆も置かれています。

ここから古い建物の方に戻って1階に降ります。その途中に秦叔宝と尉遅敬徳の大仙尪仔。二人共唐太宗麾下の猛将です。『西遊記』では龍王との約束を守れず病気になった太宗を守る役で出てきます。結局守れず太宗は冥界に落とされるので守れませんでしたが。sayachangなみに守れませんでしたが。

斗姆元君と太歳軍団。

1階正殿の裏側には千手観音。日本わりと多く見られる千手観音も、台湾ではめずらしい。私がお参りした廟の中で、観音像が千手観音だったのはここを含めて4箇所ぐらいしかなかったと思います。

魁星爺は五文昌のメンバーなのでここにも文昌筆。台湾人はふつう受験などの合格祈願に文昌帝君をお参りします。しかし、この廟の設定では、合格祈願は魁星爺、功名を得たければ文昌帝君をお参りするということになっているそうです。

月下老人。良縁を求める人はここでお参りして赤い糸を頂いていきます。私はバツイチでもう良縁とかいらないのでもらいませんが、礼儀上お参りはします。

正殿の裏側には石刻の奉納がたくさん。他に廟内のいたるところに奉納の壁画があります。

媽祖廟だけに天上聖母に関するものも多いです。これは鄭和艦隊が南シナ海を航行中嵐に遭い、媽祖に祈ったところその加護を得て助かった場面。これは鄭和自身が帰国後に永楽帝に上奏したと言われるもので、これにより媽祖は永楽帝より「護國庇民妙靈昭應弘仁普濟天妃」に封じられました。

こちらは、ある島で悪神として暴れまわっていた千里眼と順風耳が、通りかかった媽祖を神様だと気づかずナンパして嫁にしようとしたところ神罰を下されて説教され、配下に加わったというエピソード。これにより天上聖母の左右には千里眼と順風耳が並び立つことになっています。

もちろん天上聖母に関するものばかりではなく、例えばこちらは韓信の股くぐり。

『三国演義』での桃園結義。日本人の三国志オタは正史ではどうこう演義ではどうこうぴーぴー騒ぎますけど、台湾人も中国人もそういうのあんまり気にしないです。

唐の武将・薛仁貴。日本ではあまり知名度がないかもしれません。中国の史書か『隋唐演義』でも読んでいなければ知らないでしょう。薛仁貴救駕とあるのは、唐太宗が高句麗を攻めた時にある山に登ったところ敵将と出くわして襲われたのを薛仁貴が助けたというエピソード。

ほかにもたくさんおもしろいものやきれいなものを撮影しましたが、きりがないのでこのへんにしておきます。