宰樞廟

宰枢廟は新北市三峡は三峽長福巖祖師廟の近隣にある非常に古い廟です。

創建は乾隆42年=1777年。創建年自体は三峡祖師廟より10年遅れているものの、戦後に建て直されている祖師廟に対してこちらは創建当時の建物を残しており、新北市の市定古蹟に指定されています。

宰枢廟の前を流れる三峡渓では嘗ては水運が行われていました。廟前は船着き場になっていて、廟の広場は穀物を日干しにする?穀場として使われていたようです。

主祭神は四神のうち北方守護の神獣玄武を人格神化した玄天上帝です。

小さな廟ではあっても歴史があるだけ古いものから新しいものまで立派な扁額がかけられています。これは『詩経』にある言葉で「熾」と「昌」はどちらも盛んという意味の重ね言葉。なんじを盛んにするといった意味のようです。

こちらの扁額は新し目。しかし壁や天井、提灯などはこの廟の歴史を感じる古さがあります。

配祀は財神と太歳。

こちらにはこの廟を受け継いでこられた方々の位牌が祀られます。

清代の伝統建設「三合院」の風格が残されています。三合院とは母屋と左右の建物が?状になっている建築様式です。これを塞ぐように塀と門がつくと、北京の伝統建築である四合院になります。

屋根の頂点部分の左右が跳ね上がっているような形は「燕尾脊」といい、これは福建や台湾の伝統建築特有のものです。燕尾脊によって独特の美しいフォルムを作り出しているように思います。

ただし、「護龍」と呼ばれる左右の出っ張った建物部分は日本時代の昭和2年=1927年に増築されたものだとのこと。

廟内でも100年以上、もしくは昭和2年からでも100年近いいにしえの建築の雰囲気を味わうことができます。

横に併設された川秀福正宮には、福徳正神、月下老人、註生娘娘が祀られます。

川秀福正宮は本来ここにあった廟ではなく、川辺にあったものが、日本時代に橋を作るからという名目で取り壊され、別の場所に移設されました。それがまた道路拡張の名目で取り壊されることになり、宰枢廟の土地に引き取られたという経緯をたどっています。