指南宮

指南宮天公炉

指南宮は台北郊外で鉄観音茶の名産地として知られる猫空にある広大な廟です。台北ナビでは台湾道教の総本山と紹介されていますが、そういうわけではありません。これについては、指南宮側も我こそが総本山なりなどとは名乗っていません。そもそも台湾の道教にはいくつかの系統があって入り混じっており、総本山なるものは存在しないのです。

指南宮へは、猫空ロープウェーで行くのが一般的です。しかし、ロープウェーはとても混み合うという情報を事前に得ていたので、私はバスで行きました。指南宮行きのバスは530番と棕5番です。530番にはMRT公館駅やMRT萬芳醫院駅前のバス停、棕5には萬芳社區駅前のバス停から乗れます。

指南宮バス停の石碑

この石碑は指南宮バス停にあるもので、バスで行かなければ見ることはないでしょう。

指南宮参道

バス停の前から参道が伸びています。おそらくロープウェーが出来るまではもっと賑わっていたのでしょう。今は1~2の店が開いて拜拜用の線香などを売るほかはシャッター街と化しています。

参道から見上げると指南宮の門が見えます。かなり登らなくてはいけないことがわかりますね。

指南宮前門

参道を登っていくと前門に着きます。この威容を仰ぎ見ると少し感動します。

そこから振り返るとこんな眺望になっています。

純陽寶殿

最初に参拝するのは純陽寶殿。ここが指南宮の正殿です。主祭神は呂洞賓。別名純陽真人なので純陽寶殿というわけです。

指南宮が「総本山」ではないという根拠もここにあります。公式サイトを見ると清代の光緒年間に「呂恩主」を祀ったのがその始まりと書いてあります。ゆえに、ここは「恩主信仰」と道教が習合した宗派だと思われます。

「恩主信仰」というのは生前なんらかの功績があった人物を神として祀る信仰で、関羽や岳飛なども恩主とされています。例えば有名な行天宮は、「関恩主」を主祭神とした恩主信仰の廟です。

恩主信仰は中国で発生した「鸞堂」という信仰が台湾に伝わり発展したもののようです。「鸞堂」はどういうわけか儒教を名乗っており、儒宗神教とも言われます。しかし、実際には道教の神降ろしの占い「扶乩(扶鸞)」から発展したもので、何をもって儒を宗と為すと言っているのかはわかりませんが、内容的には明らかに道教の一派でしょう。

鸞堂を台湾に伝えたのは客家だと言われます。一方、台湾道教で多数を占めるのは媽祖信仰を中心とした福建の民間信仰や正一教閭山派の系統で、それらを伝えたのは河洛人です。客家と河洛人は文化も言葉も異なり、時には対立する間柄でした。日本統治以前には閩客械闘という河洛人と客家人の大規模な殺し合いが何度も起こっています。

また、正一教では全真教が祖師と崇める呂洞賓や八仙はあまり重視せず、太上老君や張天師を宗祖と仰ぎます。

呂洞賓を始祖と崇める道教宗派は、他に中国北方で主流の全真教があります。ただ全真教は台湾には伝わっておらず、おそらくは恩主信仰とも関係ありません。

現在指南宮には凌霄殿を置いて道教の最高神である玉皇大帝を祀り、また中華道教学院も設置していますので、自らを道教と任じているのは確かとは思われますが、上記の経緯から正一教とも全真教とも系統が異なる信仰であるのは明らかなので、「台湾道教の総本山」というのは日本人が考えた的はずれな認識です。

ただ、一つ付け加えると現在では台湾人は客家の信仰だとか河洛人の信仰だとかいう違いは意識することはなく、どの系統の廟でも特にこだわりなく参拝しています。

正殿をお参りした後は、裏に回って龍を拝みます。

龍の正面には見事な壁画というか彫刻があります。ここには八仙が描かれています。

収驚

裏口から正殿に戻ると、道士がお祓いのようなことをしていることがあります(平日はやらないもよう)。これは、「収驚」といって何かに驚いて抜けてしまった魂を戻してもらうという儀式。私が知る限りにおいては台北市内の廟で収驚を行っているのは他に行天宮と四獣山の入り口にある慈恵堂のみです。慈恵堂は西王母を主祭神とする廟、行天宮は「五恩主」を祀る恩主信仰の廟、どちらも扶乩の系譜を引いています。

扶乩は術者に神様を降ろして神意をはかるというものなので、人の魂を体に戻すというのはその応用なのかもしれません。

その前には地蔵王菩薩。

横には註生娘娘が祀られます。

通路を通って正殿前側まで戻り、正殿右手にある呂祖聖尊宝殿に行きます。

白い神像が呂洞賓、その前に斗母元君、赤い顔は王天君、そして緑の顔がおそらくは雷部李天君。蘆洲の湧蓮寺に同じような緑の神様がまつられており、そちらには李天君という札が置いてあるので同じ神様ではないかと思います。

次に正殿の右側にある大成殿に向います。ここは儒教系の聖人などが祀られている部屋です。

まずは文昌筆。文昌帝君の加護を願い合格祈願などを行うものです。文昌帝君は科挙合格を祈願する神様として信仰されてきたので、儒教系統から道教に取り入れられた神様であるとも考えられています。

孔丘の弟子の曽参。

性善説を説いた孟軻。

そして孔丘。

日本の指南宮を紹介した記事だと、この後紹介する大雄寶殿と合わせて道教、儒教、仏教の三教を合一した珍しい廟であるなどと書いてあるものもあります。しかし三教合一なんていうのは道教も儒教も仏教もそれぞれ主張していたことで、それぞれお互いの都合のいいところだけつまんで取り入れているだけの話です。曽参や孟軻が祀られるのは珍しいけれど、孔丘は他の道教廟でも祀っているところがあります。指南宮にだけ見られる特殊な形式ではないのです。

また、儒教では聖人の魂を祀るために位牌を置きます。このように神像を置くのは道教の方式であり、儒教の信仰形式がそのまま取り入れられたわけではありません。

他の廟をまわったこともないのにここだけが特殊であるように言うのは頭が悪いのでやめたほうがよろしい。

大成殿の奥には城隍爺が祀られます。城隍爺は本来は都市の守護神ですから、珍しいというならこんな山の中に城隍爺が祀られているほうが珍しいと言えます。

そしてその横には五祖殿。儒教の聖人が道教廟に祀られるのは珍しくないことですが、こちらは珍しい。なぜならばこちらは全真教の聖人だからです。五祖は呂洞賓、呂洞賓の師である鍾離権、東華帝君の化身とも言われる王玄甫、全真教の創始者王重陽、呂洞賓の弟子の劉海蟾を指します。

指南宮が主祭神とする呂洞賓は、全真教でも祖師として崇められます。しかし、指南宮は民間信仰の呂洞賓信仰が恩主信仰と結びつきそこから発展した系統であるため、全真教とは関係ありません。にもかかわらず全真教の五祖が祀られているのは、儒教や仏教と同様全真教も包含しているのだという宣言なのかもしれません。

本来の参拝ルートは、純陽寶殿から凌霄寶殿へ向います。しかし、私が行ったときはその通路が工事中だったので、先に大雄寶殿に向いました。

指南宮大雄寶殿

道教廟の中にある仏教の如来や菩薩を祀る堂は、中国仏教での本堂の呼び名にならい大雄殿と呼ばれています。

大雄寶殿内部。仏や菩薩の横に関羽像があるのは、中国仏教が関羽を「護法神」として取り入れたからです。仏教では関羽を「伽藍菩薩」と呼びます。

大雄寶殿を出て、かなり急な坂道を登っていくとロープウェーの指南宮駅に着きます。駅の横を通り、今度は凌霄寶殿へ。

途中通路が見えました。ここが純陽寶殿から凌霄寶殿への直通ルートです。

着いてみると、なんと凌霄寶殿も修復工事中。

この門からは遠くに台北101を望めます。

連絡通路は、凌霄寶殿側からは途中まで通れました。そこから見た凌霄寶殿。足場がなければきっと雄壮な姿のはずです。

凌霄殿は玉皇大帝がおわす宮殿を意味します。2階には玉皇大帝と諸神が祀られています。上段が玉皇大帝。下段後列が三官大帝。前列が孚佑帝君、つまり呂洞賓と関聖帝君と司命帝君。司命帝君というのは竈の神様で、孚佑帝君、関聖帝君とともに五恩主に入っています。

凌霄寶殿1階の奥には太歳殿があって、60の干支に対応した六十太歳神が祀られています。六十太歳神は多くの廟で見られますが、このようにそれぞれを別々にお参りできるように、一体ずつ像が安置されている廟は多くありません。ましてこのように大きな太歳神の神像が並べられているのは、台北ではここだけではないかと思われます。

こちらは甲子太歲金辨大將軍。

金辨はもとは明朝の役人です。寧夏に赴任したおり、5つの水路を作って灌漑設備を整え、干魃から農民を救いました。

おそらくはそうした事績により太?神の一柱になったものと思われます。

ではどうして目から手が生えているのか?

それは、日本でもよく知られる小説『封神演義』のせいです。

『封神演義』では紂王の家臣である楊任が紂王に諫言したため目をえぐられて殺されます。

それを道徳真君が救い、えぐられた目に仙丹を入れて蘇らせました。

すると、目の穴から腕が生え、手のひらの中には天地を見通し、人間の全てを識ることができるという目が開きました。

そして、物語の最後に楊任は甲子太歲之神に封じられました。

そのせいで金辨と楊任が混ざり、現実世界の信仰でも『封神演義』の設定が取り入れられて、掌に目がついた腕が生やされることになったのです。

ここでは自分の生まれ年の干支に対応した太歳神をお参りします。現在生きている人の中で甲子年生まれなのは1924年と1984年生まれの人なので、訪れたときにはこの神様を探してお参りしてください。

私は1969年生まれで干支は己酉。己酉の太歳神はこちらの程寶大将軍になります。程寶は五代十国の南漢の将軍だったそうです。南漢なんていうマイナーな国のマイナーな将軍なのでぶっちゃけがっかりです。六十太歳神には管仲や郭嘉といった有名人も入ってるのに…

自分の担当の太歳神は、太歳殿の入り口にいた職員のおばちゃんが教えてくれました。

ロープウェー駅まで戻り、そこから少し山を下ったところに地蔵王殿があります。ここはかなりひっそりしていて、参拝客は私だけでした。

指南宮はバスもロープウェーもない19世紀に建てられた廟ですから、当然徒歩で登り降りするルートもあります。ということで下山は徒歩ルートを行くことにしました。

徒歩ルートの途中にはいくつかの小さな廟があります。この福徳祠は苔むして非常に味わい深いです。

階段を降りていき、ふと振り返るとこんな感じ。これを登るのは大変でしょうね。

終着点の門。

登山口と書いてありますね。確かに「登山」と呼んでいいぐらいのルートだと思います。体力に自信がある人はこちらからハイキングがてら登ってみてはどうでしょうか?

ここからMRTの動物園駅まで、さらに30分ほど歩きました。といっても歩くしか方法がないわけではなく、ふもとからMRT駅まで行けるバスも通っています。

2018年6月3日追記:

2017年6月に再訪した時点で、純陽寶殿から凌霄寶殿へ登る通路は補修が完了し、通れるようになっていました。

ところが、初めて参拝した2016年12月から1年半経っている2018年5月末、凌霄寶殿の補修はまだ終わっていないというか、そもそも補修をしているのかどうか怪しいところで、足場で囲まれた姿のままでした。