松山慈恵堂

松山慈恵堂は台北市東部郊外にあるハイキングコース「虎山親山歩道」の入り口横にある廟です。創建は1969年と比較的新しく、現在の堂主である郭葉子さんという方が天命を受けてまず基隆のご自宅に堂を開き、翌年台北に移動。そして1979年に瑤池金母が降りてきて済世道場を作れと指示されたために、現在の場所に大きなお堂を建てたとのこと。

済世というのは簡単に言えば人助け、大げさにいえば世直しのことです。あまりに済世の意識が強くなりすぎると、黄巾の乱やら紅巾の乱やらが起こるわけですが。

神様が降りてきたという話から、郭葉子堂主は扶乩の霊媒術者=乩童かもしれません。扶乩は神降ろしをして神意をはかるという道教の占い法です。瑤池金母は、道教において女仙の最高位である西王母のこと。西王母と扶乩には密接な関係があります。

このお堂は松山奉天宮の近くにあり、私は奉天宮にお参りしてから行きました。奉天宮から福徳街の路地に入るとセブンの横に牌坊があります。

牌坊というのはこういう様式の門です。日本の鳥居の原型はおそらく柱にしめ縄を渡したものですが、発展していく過程で一部この牌坊を参考にしたものもあるように思います。

慈恵堂の本堂へは、この牌坊から10分ほど歩かねばなりません。

主祭神は西王母です。福建系移民が奉じる媽祖が女神の最高位という扱いになっている台北では、西王母が祀られている廟は少数派で、その中でも主祭神としているのは、私が行ったことがあるところに限って言うと、この慈恵堂と、虎山親山歩道を登っていったところにある瑶池宮、慈聖宮ぐらいのものです。

正殿は全体的に派手。天井ドームも金ピカですね。

道教の最高神である玉皇大帝。

西王母は原型は『山海経』に見える非常に古い女神で、玉皇大帝は西王母より後発の神様です。

後に西王母が玉皇大帝の皇后だという設定もつくられました。

現在の道教では西王母より上位にあるはずの玉皇大帝が、中央ではなく西王母の脇に置かれているのはかなり珍しいです。

右の副殿は五財神殿になっています。

この手前では無料のお茶とおかゆが振る舞われていました。これも「済世」の活動の一つであるのでしょう。私は昼食を食べたばかりだったのでおかゆはいただかず、お茶だけ飲みました。自分が使った器は自分で洗います。

反対側の副殿は文昌帝君殿と太歳殿になっています。

太歳殿の端っこには神仏の像が安置されていて、台北のタイ式マッサージ屋(風の単なるマッサージ屋)によく置いてあるやつまであります。こういうのってタイの上座部で使う様式だと思うんですが。

で、地味に珍しいのは両足で風火輪に乗っている中壇元帥。中壇元帥は台北のあちこちで見るんですが、なぜかほとんどが片足しか風火輪に乗せていない像ばかりなのです。ここにはめずらしいものがたくさんあります。

青い服の方々は、「収驚」の儀式をする人たち。お祓いっていうか、お祓いはなにか悪いものをついたのを排除するものですけど、「収驚」はびっくりして肉体から出ちゃってる魂を体に戻すという儀式なのでお祓いと似て非なるものだと言えると思います。

本堂の外の片隅に福徳正神が祀られています。信仰の系統によって、福徳正神が中心に据えられていたり、こうして小さい扱いになっていたりするのは面白いですね。

本堂の階段から台北101が見えます。トラックの荷台の先に見える大きな廟は松山奉天宮です。

堂主の人柄が出ているのか、なんだか居心地がいいお堂でした。