松山奉天宮

松山奉天宮正殿

台北市の東の端っこには、虎山・豹山・象山・獅子山が連なる「四獣山」と呼ばれる山地があります。松山奉天宮は、四獣山のうち虎山の麓にあるとても大きな廟です。奉天宮とこの近くにある慈恵堂は、住所で言うと松山区の南に位置する信義区に入っていますが「松山」と冠しているのでこのサイトの分類では松山に入れています。おそらく行政区分とは違う大雑把な認識では松山なのでしょう。

公式サイトによると、1862年に単身中国から移民してきた人が虎山の洞穴に住み着いて開墾をするようになり、その洞穴の石壁に「玉皇上帝?列位尊神」と書いた布をかかげて礼拝するようになったのが始まりだとのこと。

その後、その人物の行方は不明になってしまったものの、布だけは残され礼拝されていました。ところが日本統治が始まってからその祠は破壊されてしまいます。ただ、これが日本人によるものかどうかは不明です。台湾総督府が統治後に道教信仰を抑制しようとしたのは確かなことだとはいえ、山のはじっこの小さな祠のようなものをわざわざ壊したりはしないでしょう。

その後、近隣の王祿なる人物が、現在の奉天宮の場所を借り、幼稚園兼語学教室の講習所を建設。戦後にそこに玉皇大帝の像を安置し、1953年に松山奉天宮となったそうです。

私はまずMRTで永春駅まで行き、そこからバスで奉天宮バス停まで行きました。バス停から少し進んで路地を見ると奉天宮が見えます。

入り口の階段に日本語で歓迎の言葉。経緯上あるいは日本に対して悪い印象を持っているかもしれないと警戒したのは杞憂でした。

その後公式サイトを見ると、日本の宗教団体とも活発に交流を持っているようです。

階段は途中で拝殿と図書館に分かれます。「奉天宮に来たら、みなさん天公を拝みましょう、拝めば加護があり、福を持ち帰れます」と書いてあります。天公とはつまり玉皇大帝のことです。

階段には壁面だけでなく踊り場などにも石刻があります。

正殿正面の扁額。これはなんと李登輝先生の揮毫です。

正殿は吹き抜け構造になっています。

主祭神の玉皇大帝は二階に登ってお参りします。

この廟の中は非常に精緻な木彫り彫刻で埋め尽くされていて、他の廟にはない雰囲気と美しさを醸し出しています。

二階の東側にある太歳殿の60太歳の像も木彫り。

私が訪れたときは、道士による礼拝が行われていました。これが所謂「醮」というものでしょうか?

参拝と撮影を終えてもと来た階段を降りていくと台北101が見えました。