台湾鉄道松山駅近くにある城隍廟です。
台湾が清朝統治下にあった光緒7年=1881年、台北府知府だった陳星聚が、台北城内に官営の臺北府縣城隍廟を建設しました。しかし、ほどなく台湾は日本統治下に入り、そして、臺北府縣城隍廟は、台湾総督府の常套手段である区画整理という名の下の宗教弾圧により破壊されてしまいました。
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台湾鉄道松山駅近くにある城隍廟です。
台湾が清朝統治下にあった光緒7年=1881年、台北府知府だった陳星聚が、台北城内に官営の臺北府縣城隍廟を建設しました。しかし、ほどなく台湾は日本統治下に入り、そして、臺北府縣城隍廟は、台湾総督府の常套手段である区画整理という名の下の宗教弾圧により破壊されてしまいました。
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松山慈恵堂は台北市東部郊外にあるハイキングコース「虎山親山歩道」の入り口横にある廟です。創建は1969年と比較的新しく、現在の堂主である郭葉子さんという方が天命を受けてまず基隆のご自宅に堂を開き、翌年台北に移動。そして1979年に瑤池金母が降りてきて済世道場を作れと指示されたために、現在の場所に大きなお堂を建てたとのこと。
松山慈祐宮は、台湾鉄道松山駅から歩いて数分、台北最長の夜市として知られる饒河街観光夜市の入り口にあります。そもそも台湾の古い夜市というのは廟と一体になっているところが多いです。日本で神社の参道に縁日が立つのと同じ理屈です。
違うのは、日本の場合縁日はお祭りの時しか立たないのに対して、台湾の夜市は常設であること。