台南駅からそれほど遠くない位置の開基陰陽公廟があるブロックから西に行くと、古い町並みが残されているらしく、路地が入り組んで迷路のようになっています。
その路地に入り込んでまんまと道に迷い、偶然見つけたのがこの廟です。
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全臺首邑縣城隍廟の創建は康煕50年=1711年。
台湾知縣の張宏が私財をもって建てたといわれています。知縣は現代の知事とは異なり、行政権のみならず司法権、軍権まで握った権力者で、日本時代で言えば台湾総督に近い役職だと言えます。
しかし日本時代になって日本軍に接収され、陸軍病院の宿舎とされてしまいました。
総督府が、武廟など文化財的価値がある廟を保護したという都合のいい情報だけをもって、日本時代に宗教弾圧がなかったと言いはる人も存在しますが、日本時代に保護された廟などごくわずかで、総督府に接収されたり、破壊された廟のほうがはるかに多く、意図的に台湾人の信仰を弾圧していたことは明らかです。
台湾総督府が台湾の発展・近代化に功績があったのは確かなことです。とはいえ、都合のいい情報だけとりだした日本時代の過大評価は信用しないほうがいいです。
台湾に漢人が住むようになったのは、オランダ東インド会社が台南を占拠してプランテーションを始めてからです。漢人は台湾開拓の労働力としてオランダに雇われ、中国から移動させられました。その時、彼等が持っていた信仰もまた持ち込まれたであろうことは想像に難くないことです。
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台湾南部の古都・台南にある開基玉皇宮は、赤崁樓など観光施設が集まっているエリアより成功路をはさんで北側の観光客はほぼ行かないであろう路地裏にある廟です。沿革によれば創建は明代の永暦24年、西暦でいえば1670年とのこと。しかし、この永暦24年というのは中国の歴史には存在せず、台湾にのみ残るものです。