開基玉皇宮

台湾南部の古都・台南にある開基玉皇宮は、赤崁楼など観光施設が集まっているエリアより成功路をはさんで北側の観光客はほぼ行かないであろう路地裏にある廟です。沿革によれば創建は明代の永暦24年、西暦でいえば1670年とのこと。しかし、この永暦24年というのは中国の歴史には存在せず、台湾にのみ残るものです。


明帝国は李自成に滅ぼされ、生き残って南部に逃れた明朝朱家から皇帝が擁立されました。この亡命政権を歴史上は南明と呼びます。南明は結局清朝に滅ぼされることになりますが、その南明最後の元号が永暦です。南明最後の皇帝昭宗は、永暦16年=西暦1662年に死んでおり、本来ならば永暦年は16年で終わっているはずです。しかし、南明滅亡の永暦16年に台湾に逃れ、台南を占領した鄭成功及びその子孫は皇帝を名乗っていません。年号を変えていいのは皇帝だけですから、昭宗没後も台南の鄭氏政権は年号を永暦のまま使っていたようです。

そんなわけで、本来はないはずの永暦24年創建となっているわけですね。

玉皇宮は、まず2階からお参りするのが正しい順路のようです。

玉皇宮ですから、主祭神は当然玉皇大帝。

從祀神として玉皇四殿下と玉皇三公主娘。つまりは玉皇大帝の第4王子と第3姫です。

2階の配殿の中央には張道陵。なので天師道系の廟であることがわかります。まあ台湾の廟はたいてい天師道系です。

正一教では張道陵を偉い位置に置きたがりがち。しかし、だからといって九天応元雷声普化天尊と王天君を横に配すというのはちょっとやり過ぎだと思います。とくに雷声普化天尊は天界ではかなり地位が高い神様です。ちなみに『封神演義』的に見ると雷声普化天尊は聞仲が封神された神様ということになっており、王天君も截教側の十天君として登場するので、うがった見方をすれば張道陵が周朝の敵側だった神を従えているみたいな設定になっているのかもしれません。

本来の道教的に最高神のはずの三清。

おもしろいところでは台湾の道教廟であまり見られない神様たち。中央は中国神話における天地開闢の神盤古。太白金仙は太白金星のことでしょう。玉皇大帝の側近で『西遊記』でなにかと斉天大聖をとりなしてくれる気のいいおじさん。太乙真人は『封神演義』では中壇元帥の師匠として登場します。

おなじみ文神戦隊。しかしここでは文昌帝君を押しのけて文衡聖帝、つまり関聖大帝がリーダーっぽくなっています。中に宋代の儒者・朱熹の名前が見えますね。五文昌のメンバー、ブンショーレッドである朱衣帝君には、一部に朱熹が神様になったものという設定があります。でもぶっちゃけ朱熹ってことはないでしょう。

2階のはじっこにぽつんと太陽星君。道教においては太陽神は最高神ではないけれど、だからといって低い地位でもないのでなんでこんな扱いなんでしょうか?

ここからは一階の諸神です。一階入り口正面には三官大帝。私が訪れたときは工事中でした。

五営将軍とか註生娘娘とか、東西南北の星君とかが並んでいます。

そんな中でなにこれと思ったのが、斗母元君といっしょに祀られているこの中斗星君です。これまでいろんな廟で見落としていたのでなければ初めて見ました。調べてみるとどうやら五斗星君という設定があるようなので、東西の星君とともに員数合わせで作られたものかもしれません。

そしてこちらもはじめましての神様、天医真人。こちらはなんと『千金要方』『千金翼方』の著者である孫思邈。一般の人には知らない名前でしょうが、鍼灸師にとっては重要な人物の一人です。孫思邈の名前を知らない鍼灸師はモグリと言っていいでしょう。

台南でおもしろかったのが、虎ちゃんの名前が廟によってまちまちだったことです。この廟では「下壇将軍」という名前になっていました。