銀同祖廟は創建道光22年=1842年。福建の同安から台南に移民してきた人たちがお金を出し合って建設しました。
同安の別名が銀同であるため、銀同の人たちの祖廟ということで銀同祖廟と呼ばれます。
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銀同祖廟は創建道光22年=1842年。福建の同安から台南に移民してきた人たちがお金を出し合って建設しました。
同安の別名が銀同であるため、銀同の人たちの祖廟ということで銀同祖廟と呼ばれます。
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佛頭港景福祠(台南景福祠)は、台南にある土地公廟の中で唯一古蹟指定を受けています。
佛頭港は、かつて台南にあった五條港のうちの一つです。
この景福祠の創建は、清朝統治時代の乾隆15年=1750年。
日本時代に現在の西門圓環を中心とした道路建設を行った影響で廟の周囲に商業地区が密集して家屋に埋もれる状態になったようです。
台南の街をぷらぷら歩いていて見つけた廟です。台湾では古い街を歩いていればたいてい廟があります。
この記事を書くにあたり善徳堂や祀られている神明についていろいろ調べた結果、よくわからないことも多かったのであやふやな情報のまま書きます。
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台南の廟めぐりをしているとき、鄭成功が祀られた延平王祠から台南駅のほうに行こうとしてその近くに見つけた廟です。
資料によれば創建は永曆元年=1647年。南明永暦帝の即位の翌年です。
しかし、その当時は台南はまだオランダの支配下にあり、台南にいた漢人はオランダ人によって中国から連れてこられた労働者だけでした。
あるいはそんな労働者の一人がただ自室に祀っただけというのが創建の年になっている可能性はなくはないですが、鄭成功による台南占領より10年以上前の創建というのはちょっと眉唾もの。
鄭氏政権蟠踞の時代になってからできたかもしれないけれど、実際には清朝統治下にはいってから建てられたと見るのが順当でしょう。
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台南に延平王祠という鄭成功を祀った霊廟があります。ただ、ここは鄭成功を顕彰するという意味合いが強いようで、道教の廟として扱っていいのか迷うので、現在のところこのブログで紹介するつもりはありません。
さてその延平王祠から、台南の城隍廟へ向かうと、ちょっと衝撃的な看板を見つけました。
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台南駅から少し南に行った東門圓環付近にある臨水夫人媽廟は、清朝統治時代の1786年創建。台湾の中でも漢人移民の歴史が長い台南には、18世紀に創建された廟宇はめずらしい存在ではありません。
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台南を歩いていて道教廟を見つけるのは難しいことではありません。ぷらぷら歩いているとだいたいあります。ここも、あてどなく台南を歩いている時に、路地を抜けたらありました。
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台湾に中国から漢人が移入し始めたのは、中国の明代、日本だと戦国時代ごろにあたります。そして最も古く中国人が住み着いたのが台南周辺。それゆえに、台南には台北よりもはるかに古い道教廟がいくつもあります。台南の街角で家屋の隙間に押し詰められるように建っているこの廟。実はかなり古い由緒があるものでした。
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台南西部に今注目されるスポット「神農街」があります。神農街は古い通りに残された家屋をリノベーションしたショップが集まっていて、オサレなレトロストリートとして人気を集めているということです。というのは後で知ったことで、訪問時はそんなことは知らず、特に気にせず歩いていました。
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台湾では俗に南王爺、中媽祖、北城隍と言います。台湾南部では王爺信仰、中部では媽祖信仰、北部では城隍信仰が盛んであるということです。とはいえこれは割合の問題であって、王爺、媽祖、城隍の廟はそれぞれの地域に分布しています。
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