開基陰陽公廟

台南駅の少し北側を走る北忠街を西方面に歩くと、台南公園の西のへりを南北に走る公園路にぶつかります。北忠街と公園路の交差点の北忠街側には、開基玉皇宮の牌楼が見え、そのそばにこの開基陰陽公廟があります。


ここは玉皇宮へ向かう途中に偶然見つけました。しかし「陰陽公廟」などと名乗られていてはスルーするわけには行かないので、すかさずこちらからお参りすることに変更。というのも「陰陽公廟」というからには陰陽司公が主祭神の廟であるはずだと思ったからです。

入ってみるとやはり中央に祀られているのは陰陽司公でした。陰陽司公は、城隍神が従える官僚組織の長で、城隍神の補佐官のような役割の神様です。城隍廟へ行けば、必ずこの陰陽司公が城隍神のそばに祀られています。そんな城隍神に付属する存在である陰陽司公が、単独で主祭神になっている廟が存在していることすら想定していなかったので、予定を変えて行かずにはいられなかったのです。

ここでは「陰陽都総管」という役職がつけられていました。台湾のwikiで調べたところ、これは福州人の五福王爺信仰における文官の長の役職のようです。五福王爺というのは、瘟神つまり疫病をもたらす疫病神を管轄する神々で、また瘟神を討伐する役割ももたされており、王爺信仰や城隍信仰にも影響を与えているとのこと。

こちらが陰陽司公。普通は白黒の顔をしています。主祭神ということで白の部分が金色にされたのかもしれませんが、これでは陰陽ではなくなってしまいます。

陰陽司公の足元には馬使爺。

反対側には五営神将。

足元には虎ちゃんもいます。

配神として福徳正神と辜婦媽夫人。

こちらはおなじみの福徳正神おじいちゃん。

辜婦媽夫人というのは、夫の死後貞節を守るために自死した台湾の女性を神格化した神様で、主に台南で信仰されているようです。

なにがなんでも中壇元帥を置かねば気が済まないのか…

廟の外にも五営神将の祠があります。

外にある案内によれば、創建は道光7年=1827年となかなか由緒がある廟です。もとは東竹巷という場所にあったものの、日本時代に2度接収されたため、信徒の方が元にあった場所の向かい側と、この場所に分けて再建し、1963年に今の姿に再建されたとのこと。

台湾の廟について調べると、こういう話本当に多いです。台湾総督府による台湾近代化はあくまで日本の都合によるもので、それが結果的に今の台湾の礎になったとはいえ、その裏ではこうした民衆の信仰の抑圧も行っていたので、ネトウヨのたぐいのように手放しで日本の台湾統治を肯定的に捉えることはできません。