艋舺啟天宮

艋舺啟天宮は龍山寺から歩いて10分ほどの近くにある媽祖廟です。

創建は龍山寺より100年ほど後とはいえ、まだ清朝統治時代の1841年と古く、おそらく日本人にはほとんど知られてはいないと思われますが、萬華では広く信仰を集めている廟です。

萬華は台北では最も古い商業地区です。日本統治以前の流通は船運が主流でしたから、萬華には船の工場や材木商も多くありました。啟天宮は、そんな材木商の一つに、船の運行の安全を祈って天上聖母の像が置かれたのが始まりで、その材木商のおかみさんが発心して廟にしたとのこと。

これが正殿の最も奥に祀られている天上聖母。

左天上聖母。

右天上聖母。

そして中央手前天上聖母。サイズに合わせた千里眼と順風耳もついています。

船乗りや船大工など荒くれ者が多かったために、彼ら好みの武神として関聖帝君も置かれたとか。数字は参拝順序です。こういうちょっとした親切がある廟はなかなかありません。

西秦王爺というと聞き馴染みがないかもしれませんが、芸能の神様です。

その正体は唐太宗だとか唐玄宗だとか唐玄宗が安禄山に逐われた時に従った楽官だとか諸説あって、ぶっちゃけどれも後付だと思われます。福建の地方劇団のうち福祿派という派閥の守り神だそうなので、その劇団が権威付けのために言い出したことかもしれません。

こちらは池府王爺。唐高宗・唐太宗につかえた武将・池夢彪です。黒くて目玉をむいているのには伝説があります。

台湾のwikiの記述によると、ある日池夢彪の夢に瘟神が出てきました。瘟神というのは疫病を撒き散らす神で、日本で言えば疫病神です。玉皇大帝の命令で地上に疫病を広めに来たというこの瘟神を池夢彪は家に招き入れ、酒を飲ませました。疫病を広められてはいけないと思った池夢彪は、瘟神が酔ったすきに毒薬をあおったため顔が黒くなり、目が飛び出して死んでしまいました。

瘟神はそこで池夢彪の魂を玉皇大帝のもとへ連れて行ったところ、その民のために命をなげうった心意気に感心され、代天巡狩、つまり天帝にかわって地上に禍福を施す役に任じられたとか。

ただ、これは一説に過ぎず、同じ話の主人公が明の武将・池名然になっているものもあったりして、つまりは疫病除けの神様に後付でいろいろ考えられたのでしょう。話の筋も、なんで瘟神を防ぐために毒を飲んだのかとか、なんで瘟神がそこで天帝の命令による職務をやめたのかとかツッコミどころ満載ですし。

ちなみに「王爺」というのはなんやかんやの経緯で天帝から地上警備の役割を承った神様のことを指し「千歳」とも呼ばれます。

五営将軍。中央は中壇元帥です。

中壇元帥は中央の祭壇にもいます。

啟天宮には広州街からも行けますが、かなりわかりにくい路地にあるので、梧州街側の入り口から入ったほうがわかりやすいでしょう。