松山慈祐宮

松山慈祐宮は、台湾鉄道松山駅から歩いて数分、台北最長の夜市として知られる饒河街観光夜市の入り口にあります。そもそも台湾の古い夜市というのは廟と一体になっているところが多いです。日本で神社の参道に縁日が立つというのと同じ理屈です。

ということで私は饒河街観光夜市に行くのを兼ねてお参りに行くため、慈祐宮へは夜にしか行ったことがありません。

慈祐宮は媽祖廟です。饒河街の北側には基隆河が流れており、そのあたりの水深が深かったことから、この近辺が水運の基地となりました。饒河街に夜市ができたのも水運に関わる人たちが集まったためで、媽祖廟が作られたのは、ここに住み着いた人々が媽祖を信仰する泉州系福建人だったからだそうです。

媽祖といえば千里眼と順風耳が付いていることが定番。赤いほうが順風耳で、緑が千里眼です。媽祖の神話によれば、千里眼と順風耳は兄弟でした。死んだ後に悪神となって桃花山という山で暴れていたところ、媽祖が通りかかり、結婚を申し込むものの媽祖の神威に触れて説教され、媽祖に属する将軍となったといいます。彼らは『西遊記』の冒頭にも玉皇大帝の使いっぱのような役割で登場します。媽祖を信仰する福建商人たちは、北方にも媽祖信仰を持ち込みました。『西遊記』が現在の形にまとめられた明代には千里眼と順風耳の知名度も高まっていたことがわかります。

後殿には道教の諸神や菩薩が祀られていますが、ここの後殿はとにかくきらびやか。

特に天井部分が派手になっています。

協天大帝というのは関聖帝君のこと。明の万暦帝に協天護国忠義大帝の封号を賜ったことによりますが、普通は関聖帝君と表示されています。

後殿から見た正殿の後ろ側。屋根のてっぺんには福禄寿が立っています。並び的には寿星、福星、禄星です。本来はこのように長寿、福、禄つまり財をもたらす三柱の神様です。ところが日本の七福神ではなぜか福禄寿という一柱の神様となっています。また寿星は南極仙翁のことで、つまり福禄寿の寿は南極老人星のことなのに、七福神には別に寿老人も入るというわけわからないことになっています。

媽祖出巡

その下にあるのが「媽祖出巡」の壁画というか彫刻。媽祖が各地に巡察に向かうという様子です。左右に千里眼と順風耳がつき、周囲を警戒しているのがわかります。千里眼と順風耳はいわばレーダー役ですね。

後殿で見つけた謎奉納品。なぜカンガルーなのか…

一階から見上げた後殿の姿です。

饒河街観光夜市に行くときは、まずお参りしてからグルメを楽しむのがいいでしょう。

2018年6月追記

2018年5月末に松山慈祐宮を再訪したおり、いくつかの変化があったので記しておきます。

まずは2016年当時は入れなかった後殿の太歳殿の内部に入れるようになっていました。

2018年(正確には2018年に重なる農暦の年)の干支は戊戌ですので、戊戌太歳姜武大将軍の像が置かれています。姜武は明末の武将で盗賊退治などに功があり、開封を攻める李自成の討伐のため保定総督楊文岳麾下に加わって奮戦したものの討ち取られたとのこと。

中に入れるようになったので自分の生まれ年の太歳神をお参りできます。

それと2016年当時は修復中で入れなかった後殿最上階に入れるようになっていました。

まず上段中央には玉皇大帝。その前に並ぶのが、左から乾元火官大帝、中元地官大帝、上元天官大帝、下元水官大帝。三官大帝に乾元火官大帝が加わっています。火官大帝というのは誰なのかと思い帰国後調べたところ、どうやら火徳星君のようでした。

左側に北斗星君、右側に南斗星君を置くのはよくある配列です。

下段中央は元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊の三清を中心に、左に北極紫微大帝、右に南極長生大帝。あとこの画像ではほとんど見えませんがその前に太陰娘娘、地母娘娘、太陽星君。さらにその前に中壇元帥、趙元帥、馬元帥。

左側には至聖先師=孔丘、太上道祖=老子、釈迦佛祖の三教祖師が並びます。道徳天尊は老子の神格化である太上老君のはずなんですけど、別枠で老子が祀られているのはわりとよく見ます。

あと右側は神農大帝です。