台南駅からそれほど遠くない位置の開基陰陽公廟があるブロックから西に行くと、古い町並みが残されているらしく、路地が入り組んで迷路のようになっています。
その路地に入り込んでまんまと道に迷い、偶然見つけたのがこの廟です。
三老爺宮の創建は清朝統治時代の乾隆15年=1750年。この地区の住民がお金を出し合って建てたとのこと。
三老爺とは、この廟に祀られる三柱の王爺神、朱王爺・魏王爺・曹王爺のこと。
天帝に代わって地上の瘟神悪霊を成敗する代天巡狩の職能を持つ王爺千歳信仰の廟です。
真ん中の入り口には黑令旗。普通参拝客はここからは入らず、廟に向かって右側の龍門から入ります。
三老爺の中でも最も偉いのが朱王爺。
「朱府延平郡王」と記されていることからもわかるように鄭成功のことです。
正確に言うなら鄭成功が王爺神として祀り上げられた姿。
同じ朱王爺、朱府千歳でも台北と台南では中の人が違います。
台北の朱府千歳は、李淵に仕えた唐建国の功臣朱叔裕、台南では鄭成功。
鄭なのに朱府千歳とされているのは、明朝朱氏の姓を名乗ることを許されたためです。
反対側から。
左右を守るのは道教の護法神康將軍と趙將軍。
朱王爺の前には諸神が並びます。
中央最前列の他の廟なら中壇元帥がいそうなところには馬王爺。
紂王の息子の殷郊だというものをはじめとして様々な伝説が作られている王爺神です。つまりよくわかりません。
こちらは三老爺の一柱・魏王爺。
そして曹王爺。傍らに中壇元帥の像があります。
魏王爺と曹王爺は鄭成功の麾下の武将だといいますが誰だかわかりません。
配神の福徳正神と、あと片方はどなたか不明。
壁に貼られた護符。
廟の片隅に王爺船がありました。
王爺船はもともとは疫病をもたらす瘟神を乗せて海に流し、火を付けて疫病を退散させるというものでした。
それが、瘟神を征伐する王爺神が作られるとともに、瘟神をとらえた王爺を乗せて海に流して燃やすというものに変化しました。
この船は流して燃やす用ではありません。
この廟では12年に一度、これとは別に王爺船が仕立てられ、海辺で燃やすお祭りが行われているようです。