台南北極殿は、台湾首廟天壇の近くにある非常に古い廟です。台湾の文化遺産にも指定されている文化財でもあります。
現在は家屋の間に押し込められるように佇んでいますが、かつてはこの一帯を敷地とする威勢を誇る廟だったようです。
台南市の説明にも「伝えられるところによれば」という但し書きがあり、明確ではないものの、創建は永暦15年=1661年だとか。しかし、中国で清軍に惨敗した鄭成功が台湾に逃げ延びて台南を占領するのは1662年。明らかに盛った創建年です。永暦15年は南明が滅んだ年でもあるのでそこに意味を込めているのかもしれません。
ただ、廟内にある最も古い扁額にある落款により、鄭氏政権下の永暦帝23年=1669年にはすでに存在していたことがわかっています。
もともとこの地は、鷲嶺と呼ばれる小高い丘だったとのこと。
日本時代に道路拡張を名目に前殿が破壊され、一度は再建されたものの、蒋氏政権下に入ってまた道路拡張により前殿が破壊され、現在の姿になったようです。
廟内の柱は全て黒塗りされた「烏柱」。
「烏」は黒を意味します。
北は五行で金に属し、色は黒なので黒い柱により支えられています。
主祭神は北極玄天上帝。
玄天上帝は明朝の守護神とされた神様なので、鄭氏の台南占領直後に祀られたのもわかります。
はじっこで剣をかかげているのは武財神趙公明。花でかくれた反対側には文財神がいます。
玄天上帝を称える詩。武当は武当派道教の総本山・武当山のこと。玄天上帝は武当派道教の主祭神です。
玄天上帝は元々は四神のうち北の守りである玄武が人格神化された神様でした。それが後に、玄武を征伐したという伝説が作られ、玄武を構成する亀と蛇を踏みつけている姿となっています。
そこらへん、やはり玄武が亀と蛇の合成獣であるという設定はちゃんと守られていて、玄武=亀のような適当な認識になっている日本とは違います。
古い廟の見どころの一つは、長い歴史の中で数多く奉納された扁額です。
実は玄天上帝の上にこの廟で最も古い寧靖王朱術桂揮毫の扁額がありますが、うまく撮影できていませんでした。
側殿に祀られた地蔵王菩薩。
註生娘娘。
そしてこちらは地基主。
地基主は中国由来ではなく台湾で発生した信仰。平地原住民の信仰を中国から移植した漢人が取り入れたものだともいいます。
簡単に言えば家の守り神で、それぞれの家で祀るものです。
その地基主の神像が祀られているのは、台湾で北極殿のみであるようです。
実は、清朝統治下で鄭成功を祀るため、日本で言えばマリア観音のように、地基主の姿にしたのだという説もあるようです。
後殿には観世音菩薩。
両脇の十八羅漢の上にも扁額がたくさん掲げられています。