台南の廟めぐりをしているとき、鄭成功が祀られた延平王祠から台南駅のほうに行こうとしてその近くに見つけた廟です。
資料によれば創建は永暦元年=1647年。南明永暦帝の即位の翌年です。
しかし、その当時は台南はまだオランダの支配下にあり、台南にいた漢人はオランダ人によって中国から連れてこられた労働者だけでした。
あるいはそんな労働者の一人がただ自室に祀っただけというのが創建の年になっている可能性はなくはないですが、鄭成功による台南占領より10年以上前の創建というのはちょっと眉唾もの。
鄭氏政権蟠踞の時代になってからできたかもしれないけれど、実際には清朝統治下にはいってから建てられたと見るのが順当でしょう。
入り口横には財神の絵。
馬公とは、この廟の主祭神である輔順將軍馬仁のことです。
馬仁は、福建漳州系の移民からは絶大な信仰を集めている開漳聖王陳元光の配下六輔將軍のうちの一人。
だからって生前特筆するような功績があったわけではありません。
ただ、鄭成功がいまだ抵抗している時代に、澎湖島で清将が病没したのが馬仁の神威によるものだという言い伝えなんかがあって信仰を集めているようです。
主祭壇のすみっこには中壇元帥を中心とする五營神將。
台南では、この鎌首をもたげた蛇の像もよく見かけました。おそらく毒をもって毒を制す的な魔除けだと思われます。
その下にいる虎ちゃん。
輔順將軍の左右に配されるのは註生娘娘と観音仏祖です。
一見七爺八爺に見えるこの大仙尪仔は、大爺盧清将軍と二爺韓德将軍です。七爺八爺と同様、本来城隍爺配下の捕吏である八家將に属します。
その大爺二爺が控えているからには、輔順將軍に城隍爺と同じ陰間の警備員、王爺千歳の職能が与えられていると見ていいでしょう。
二爺の後ろには黒令旗。
その上にはなんでか白蛇伝の絵がありました。