2018年に板橋の廟を巡ろうと思い、googleマップで調べて出てきたうちの一座です。
MRT板橋駅から少し北上した位置。地元の人しか歩かないような路地にあり、googleマップがなければ発見できなかったでしょう。
台湾で「○○堂」とつけばたいてい鸞堂の廟です。
恩主信仰系だろうかと行ってみたところ、豈図らんや媽祖が祀られていました。
ただ、媽祖廟というよりは、主祭神が観音仏祖の仏教要素が強い民間信仰系であるようです。
媽祖を守るように中壇元帥がいるのはよくあること。
配祀は五府千歳。台湾北部で五府千歳というと、だいたい唐の功臣である李大亮、池夢彪、呉孝寬、朱叔裕、范承業の5人です。
これが三府千歳になると、朱・池・李王爺が選ばれます。
反対側には福徳正神。
その前には五營神將も祀られます。
2階に登ると、主祭神の観世音菩薩。
道教の廟でよく見る「観音仏祖」ではなく、ちゃんと「観世音菩薩」と書いてありました。
そして横に地蔵王菩薩。
反対側に註生娘娘。
主祭神が観音仏祖だからといって仏教寺院ではないことは他の神々を見ればわかると思います。
単にいっぱいいる神様の中から、観世音菩薩が選ばれたというだけ。逆に媽祖廟の配神として観音仏祖が祀られるのも珍しくないというか、だいたいセットになっていますね。
一階にもどって、祭壇下の虎ちゃん。
ここへは黄昏時に訪れました。
この門神はおそらく尉遅敬徳と秦叔宝でしょう。
一階の壁面に並んだ奉納石刻壁画の一部です。
これは宋仁宗代の武将・狄青と、狄青と対立していた龐籍が差し向けた王天化が相対する場面。この後王天化は斬られます。
その横は三国演義の桃園結義のシーン。
その上には薛仁貴征東。つまり、唐の名将・薛仁貴による高句麗征伐。
横にはこれまた三国演義の諸葛亮による空城計の情景です。
徳川家康が三方ヶ原の戦いで散々に破れて敗走したあと、浜松城で空城計をとり窮地を逃れたなんて話もありますが、それも後世の創作のようです。