台湾では俗に南王爺、中媽祖、北城隍と言います。台湾南部では王爺信仰、中部では媽祖信仰、北部では城隍信仰が盛んであるということです。とはいえこれは割合の問題であって、王爺、媽祖、城隍の廟はそれぞれの地域に分布しています。
平河出版社の『道教1 道教とは何か』の中にある「道教と宗教儀礼」という項にこんなことが書いてあります。
王爺廟の分布は、台南地方を中心に、嘉義、雲林、高雄などが多く、北部や特に東部にはほとんど見られない。
これを書いたのは松本浩一という人物で、この本が出版された1983年当時は図書館情報大学の助手だとのこと。
はっきり言えばこれは嘘っぱちです。台北をちょっと歩けば王爺廟はいくらでも見つかる。それらの中には1983年以降にできたものもあるのは確かです。しかし、それ以前からあった古い廟も少なくない。フィールドワークを怠って思い込みで書くと、ちょっと台湾を歩いてまわっただけの素人の私にすぐ誤謬を見抜かれるわけです。
とはいえ、台南を回ってみて感じたのは、やはり王爺信仰の中心は南部なのだなということでした。
台北の王爺廟が朱、池、李の三府王爺、またはそれに呉、范王爺を加えた五府千歳が多いのに対して、南部にはそれ以外の数多くの王爺廟が見られました。開基共善堂もその一座です。
台南を歩いていると道の向こうに牌楼を発見。
邢府千歳とあります。台北ではあまり見ない王爺です。
牌楼がある道を進んでいくと廟がありました。
開基共善堂は雍正元年=1723年創建とのことで、台北で最も古い1738年創建の龍山寺よりさらに古い廟ということになります。
日本時代に台湾総督府お得意の宗教弾圧の一環として、道路拡張の名のもとに米街廣安宮が接収された折、双方合意のもと行き場をなくした神様を合祀したそうです。
主祭神邢府千歳は保護大帝邢天王とも呼ばれる王爺。
調べてみると邢府千歳はどうやら七尊の神の総称であり、曰く大千歳:盧蒲癸、二千歳:邢蒯曠、三千歳:州綽、四千歳:殖綽、五千歳:王何、六千歳:郭最、七千歳:賈舉。
大千歳と二千歳は玉皇大帝の近衛のような役割で、王爺千歳本来の代天巡狩は四千歳以下が行うという設定になっているようです。
邢姓は二千歳の邢蒯曠のみであるから、もともとの邢府千歳は邢蒯曠で、あとは後付けでしょう。その邢蒯曠も春秋時代のほうの晋にいた勇者であるとの情報以外はほとんど不明。なにやら出処不明な王爺なので、福建の土着神に後から邢府千歳という設定が付与されたという可能性もあるように思います。
電光掲示板によれば、他に清水祖師や雷府千歳が祀られています。
雷府千歳もこれまた正体不明の王爺です。調べると雷神の雷天君であるとか、保儀尊王張巡麾下の武将・雷萬春であるとか、はたまた雷萬春の義兄である田都元帥雷海青であるとかいろいろです。こういういろいろな説がある神様はだいたい後付け設定です。
そして台南でも人気がある中壇元帥。
正殿の左右を冥界捕吏の七爺八爺が守ります。
配祀として福徳正神。
その下に虎ちゃん。
目が大きい猫っぽい虎爺です。
反対側には五營神將。
こちらの中壇元帥は五營神將のリーダーという関連性があります。
その隣は打神鞭を持った太公望?かも?
ところどころで見かけるこの黒い蛇の像。土台の部分はとぐろを巻いているのを表現しているのだと思われます。とぐろを巻いて鎌首をもたげる蛇の像がどういう意味を持つのかは、いろいろ調べてもちょっと不明です。
その下にお馬さん。
これお馬さんのほうが神様の場合と、馬丁のおじさんが神様の場合があります。
正殿の外にも五營神將の祠があり、こちらは神名を記した位牌が祀られます。
その横に置かれた草と水は神馬のためのもの。ここに五營神將の軍勢が駐留しているぞということを魔物に知らせています。