新北市三峡区の代表的な道教廟である三峽長福巖祖師廟で拜拜した後、観光スポットにもなっている三峡老街に向かっていくと、その入口近くに見えるのがこの廟です。
創建は乾隆38年=1785年と古く、三峽祖師廟、三峽興隆宮とあわせて三峡区三大古廟と称されています。
とはいえ特にどうということもない普通の福徳宮。つまり福徳正神を主祭神とする土地公廟です。
このブログでもいくつか福徳宮を紹介しているとはいえ、実は拜拜して写真も撮ってあるけれど紹介していない福徳宮のほうが多いです。なぜならば福徳宮はどこも似たり寄ったりで書くべきこともないからです。
それに対しこの福徳宮には一つ大きな特徴がありました。それがこの北台湾最大という「元寶」です。
元寶というのは昔の中国のお金のこと。
台湾のwikiで元寶の項目を見ると、唐代に鋳造された「開元通寶」という貨幣がその名称の大本だとのこと。
元寶より引用
上下に開元、左右に通寶と表示したところ、上から開通元寶と読まれてしまったとか。たしかにこんなふうに書かれていたら上から時計回りに読んでしまうことのほうが多いと思います。
それ以来中国では「元寶」が貨幣の意味で使われるようになりました。
以降、得一元寶、大宋元寶など○○元寶という貨幣が鋳造されています。宋代になると、この廟をはじめ、台湾の廟で多く見られる馬の鞍の形をした元寶が作られるようになったようです。
ところで日本のサイトには餃子が元寶の形をまねて作られたなどと書いてあるものがあります。もちろんそれは嘘っぱちで、今の餃子の原型はすでに紀元前にあったと考えられており、また5世紀~7世紀頃のウイグルの遺跡からも「餃子の化石」と言われるものが出土しています。もっとも5世紀あたりのものが化石になるはずはないので、単に砂漠の乾燥した気候で腐らずに硬くなったまま埋まっていただけのものではないかと思います。
後に馬の鞍型元寶が作られるようになってから、それに似た形の餃子が縁起物として食べられるようになったに過ぎません。
さて今日、台湾では元寶は財運を高める縁起物として扱われています。ここまで大きなものはなかなかないにせよ、この形をした元寶自体はたいていの廟で見られるものです。
元寶は財運を高めるものであり、また財神の象徴でもあります。
福徳宮にこの北台湾最大の元寶があるのは、福徳正神に財神としての性質もあるからです。
福徳正神は、もともとは名がない農村の守り神でした。農民が農作業の合間に休む木陰などに石を積み、豊作を願ったのがその始まりとされます。それが少しずつ農村全体の守り神、つまり土地神として信仰されるようになっていきました。日本で言うなら村の鎮守の神様です。農業生産や村の守り神としての土地公も現在でも台湾のあちこちの農村で見られます。またその一方で、かつて農村だったところが都市化していったところもあります。
都市化していく中で、土地公への信仰が都市生活を支える財産を得る、豊かな生活を守るといった願望へと変化していった結果として、財神という性格も付与されたのではないかと思われます。
日本の稲荷神=宇迦之御魂神が、もともとは五穀を司る豊穣の神様だったのに、江戸が都市化していく中で商売の神様になっていったのと似ています。
民間信仰の中で財神としての性格を付与された神様には、福徳正神の乗騎としてともに祀られることも多い虎爺や、本来五斗米道の開祖張道陵の弟子であるという設定で正一教の護法神であった趙公明などがいます。
私は台湾では多くの財神にお参りしたし、元寶をなでたりもしたけれど、特に財運が向いてきたということはありません。
ところで、全台湾最大の元寶はどこにあるのかと調べてみた結果わかりませんでした。