台湾本島北部、基隆は古くから港として栄え、日本時代には日本と台湾を結ぶ玄関口となりました。
基隆の廟で最も有名かつ、信仰の中心と言っていいのは、基隆の代名詞である廟口夜市の中心に鎮座する奠濟宮です。
代明宮の入り口は、台湾鉄道基隆駅から廟口夜市に向かう途中、知らなければ絶対見逃してしまうであろう細い路地にあります。
商店の間の小さな階段。
見上げると立派な牌楼が建っているので、そこに確かに廟があることがわかります。
しかし、入り口にあるこの狭い階段は本当に入っていっていいのか一瞬躊躇してしまいます。
ところが、入り口の小ささとは裏腹に、二階に登ると立派な廟が現れます。
帰国後調べてみると、この廟は龍華教という宗教のものでした。龍華教は元々は中国において明代に生まれた民間信仰。宗祖の羅清は臨済宗の寺で禅修行をした後、浄土教の派生である白蓮教、老荘思想、正一道や全真教等の道教を結合して「無為教」を興しました。あるいは二祖と呼ばれる殷繼南が羅清の思想を整理して道教や儒教などを加えたという情報もあり、このへんははっきりしません。
台湾に無為教が入ったのは清代のこと。日本時代に「台湾仏教龍華会」を設立して布教を行いました。無為教が龍華教になったのはこの時からだと思われます。総統府は龍華教を大雑把に「斎教」にまとめています。「斎教」とは台湾の民間信仰のうち、仏教色が強く、しかし出家を行わない在家仏教宗派を便宜的にまとめたものです。
代明宮は、在家仏教信者の張賜歡氏が創建した、三宝仏を本尊に、太陽星君、太陰星君、観世音菩薩などを祀った源齋堂という仏堂でした。
それが戦時中に壊れたため、一階を市場にして二階に再建。一階の家賃を運営費にあてるようになったとのこと。
基隆は1945年の6月に米軍の空襲を受けているため、その時に破壊されたものと思われます。
そして2010年、今度は火災のために三宝仏など多くの文物が焼けてしまいました。
どうやら三宝仏が焼けてしまって以降は、太陽星君と太陰星君が主祭神となっているようです。「太陽媽廟」という別名からもそれが伺われます。
一般的な道教の廟では太陽星君と太陰星君は玉皇大帝の傍らに控えていることが多いです。道教の最高神は玉皇大帝であり、太陽も月も星々も、天帝の下につくものです。
太陽星君は太陽が神格化された神様、太陰星君は月が神格化された神様です。仏教の日光菩薩、月光菩薩の化身といもいいます。おそらくは仏教からのパクりで作られた神です。
太陰星君は現在では月の女神の嫦娥と同一神とされています。嫦娥は西王母より不老不死の薬を盗んで月に逃れた仙女です。嫦娥には、?という弓の名手の旦那さんがいました。つまりは太陽星君は対にはなっているものの旦那さんではないということになります。
このへん、西王母と対になる東王公が西王母の旦那さんではないのと似ています。
しかし火災事故による結果とはいえ、太陽星君と太陰星君が主祭神とされているのは珍しいことです。主祭神とされているためか、神名も太陽帝君、太陰皇君となっています。
右側には地蔵王菩薩。
左側には註生娘娘。
後殿に入ると観音仏祖が祀られます。この観音仏祖は、正殿の太陽星君・太陰星君と背中合わせになるように祀られています。こういう配置は他では見たことがありません。通常は正殿と同じ向きになるように祀られます。
右側には文昌帝君。
左側には財神。台湾では五路財神ではなく財神単体で祀られる場合、武財神趙公明が祀られることが多いです。しかしどうやらこちらの財神は文財神です。
経緯を知らなければごく普通の道教の廟のとりあわせです。