それまでいくつかの原住民グループに分かれてそれぞれに暮らし、統一政府を持たなかった台湾に初めて中国から漢人が移民したのは、オランダ東インド会社が労働力として移入させてからでした。
その後、明の遺臣である鄭成功が中国から台湾に逃げ延び、オランダ人を放逐して亡命政権のようなものを樹立します。台湾ではそれにより鄭成功が英雄扱い、神様扱いされているわけです。
ただ、それはあくまで父系に漢人を持つ人達の考えで、ガチな台湾独立派は鄭氏政権も台湾を占領した外来政権の一つに過ぎないと考えています。
まあそれはさておき、台湾に道教を持ち込んだのは鄭成功亡命軍だとも考えられていて、この廟は、鄭成功が台南の地で天を祀ったものが始まりとされています。
「台湾首廟」というのは台湾でトップに立つ廟ということではなく、台湾で初めての廟という意味です。
現在では台南の宗教百景に選ばれています。
宋代以降、天を祀ると言えば天帝である玉皇大帝を祀るのと同義です。
ということで主祭神は玉皇大帝。しかし、神像は置かれず神位が記された位牌が祀られています。
後殿には三清、三官大帝、斗姥元君など道教でわりあい位が高い神様。
生死を司る北斗星君、南斗星君は、通常は玉皇大帝の配神にされていることが多いですが、ここでは三清の配神とされていて、なぜか足元にそれぞれ虎ちゃんがいます。
台北では「虎爺」の名で祀られている例がほとんどの虎ちゃんは、台南では「虎将軍」とされていることが多いようです。
さらに西斗星君、太乙真人、天医真人、司命灶君。太乙真人は『封神演義』では哪吒の師匠として登場する仙人です。天医真人は6世紀の医師で『千金方』の著者である孫思邈。台北では医神といえば保生大帝や華陀ですが、台南では天医真人が祀られる廟をいくつか見ました。司命灶君は恩主信仰系でもよく見る竈の神様で司命真君として知られます。
竈の神様っていうのは竈の前で行われたことを天帝に報告する役割を持っているので、女性は竈の前では汚い言葉や悪口などを言わないように慎んでいたといいます。日本のOLが給湯室で悪口合戦を繰り広げるのとは大違いです。
反対側には東斗星君、九天応元雷声普化天尊、張天師×2。なんで張天師が二尊並んでるのかは不明。ただ、これでこの廟が正一教の系統であることがわかります。私的にはかなり位が高い神様である雷声普化天尊と、ただの五斗米道の創始者である張道陵が同列にされているのはちょっと納得いきません。
武聖殿の中央には文衡聖帝。関聖帝君の別名です。関聖帝君といえば左右に侍るのは周倉と関平ですが、ここではなぜか左右に王天君と張仙大帝。張仙大帝は由来が複数あって定まらないという民間信仰出身の道教神にありがちな存在。調べてみると『桃園明聖経』という道教経典で関聖帝君の属神として設定されたようです。
こちらは文神戦隊。ここにも関聖帝君は入っています。
そして延平郡王、つまり鄭成功。
岳武穆王、つまり岳飛。岳飛の周りには媽祖やら月下老人やら註生娘娘やら関係ない神様たちが集められてよくわからない状態になっています。
武聖殿の外には赤兎馬と馬取りのおじさん。
太歳殿には斗母元君と太歳星君、北斗星君、南斗星君、あとダメ押しの張天師となぜか虎ちゃん。