金満宮土帝君祠

詳しい順路は説明がめんどくさいので書きませんが、那覇市のおもろまちから安里のほうに降りていく斜面の中腹あたりに「金満宮」という神社風のウタキがあり、そのかたすみに「土帝君」が祀られた祠があります。

鳥居が立っていますが、ここはもともとはもっと下のほうにあった金満(かにまん)ウタキを道路拡張のため移設し、そのときに「金満宮」と名を変え、神社としたものだそうです。サイトによっては商売の神様などと書いてあるところがありますが、本来は鍛冶の神様。「金」はお金ではなく金属を意味します。

こうした誤解は例えば「日本風似非風水」にも見られます。日本人が勝手に考えて風水と名乗っている室内インテリア術では、五行の金にあたる西が金運が上がる方角などとしています。しかし、五行は自然界にあるものをエレメントとしたものですから、当然金も金属であって金運などとは一切関係がありません。

本殿は日本の農村の片隅などでよく見かける小さな社のようになっています。

しかし拝殿は沖縄式に座って礼拝できるように畳敷きです。ガワは神社にしてあるけれど機能としてはウタキのままであることがわかります。

さて、ウタキ信仰は純然たる沖縄生まれの信仰ですから、金満宮自体は本題ではありません。本題は、この本殿のちょっと下にあります。

鳥居の前からは本殿に登る階段がありますが、その横に路地というのもはばかられる細い隙間があります。

そこにあるのが土帝君(トゥティークー)が祀られた2座の祠です。こちらももっと低い場所にあったものが移設されたとのこと。

土帝君は中国から伝わった土地公、つまり福徳正神です。土帝君で画像検索をすると、明らかに福徳正神である像が祀られているところもあります。帝と地は同音なので、伝わったときに錯誤があったか、あるいは位を上げるために帝の字を当てたのかもしれません。道教の神々のヒエラルキーでは土地公の地位は非常に低いですから「帝」の字がつくのは中国ではありえないですね。

「こういう信仰がある」ということだけ伝わって、その信仰の母体である道教は伝わらなかったためにそういうことが起こり得たのだと思います。

土地公信仰が沖縄に伝わったのは17世紀だといいます。福徳正神の名がないのは、土地公に福徳正神という神名がついたのがそれより後のことであったことを物語っているのでしょう。

土帝君が福徳正神と同じだというのは、沖縄でも農暦2月2日にお祭りを行うことでも明らかです。農暦2月2日は福徳正神の誕生日で、中国や台湾でもお祭りが行われます。

『絵でみる御願365日』(むぎ社編/むぎ社刊)には、土帝君祭りでは

過去一年間に生まれた子の健康とすこやかな成長を願う「子育て祈願」がおこなわれます。土帝君の祠の前に供物をおそなえし、地域の繁栄と豊作、あわせて家運の興隆を祈願します。

とあります。

右側の祠の中身は何が祀られているかは不明です。もしかしたら福徳正神の姿をした神像があるかもしれません。

左の祠には土のかたまりのようなもの。これは像が彫ってあったものが経年劣化したというわけではなく、もともとこうしたものだったと思います。おそらくは依代の役割を持つもので、ウタキ信仰との結合が感じられます。