ここはちょっと「道教廟」として扱っていいのかと迷ったんですけど、まあ最大公約数的に道教に入れちゃってもいいだろうと思ったので入れてしまいます。
聖公媽は正しくは聖公と聖媽を指します。聖公・聖媽は有應公や大眾爺と同様、家族など祀ってくれる人がいない死者の霊=孤魂を神様としてお祀りしたもの。公は男性の孤魂、聖媽は女性の孤魂です。聖公媽、有應公、大?爺などをお祀りするのは、孤魂信仰と呼ばれています。
そしてこちらでは神像ではなく位牌が祀られています。位牌というのは儒教の様式の先祖礼拝グッズです。これを見てふと、孤魂が厲鬼、つまり日本語で言う悪霊にならないようにお祀りするというのは道教ではなく儒教の発想のような気がしました。というより、儒教のベースとなった古代中国人の霊魂感、死生観と言えばいいでしょうか?
儒教は日本ではその原義を失いただの道徳の教えのように扱われていますが、儒教が最も重視するのは先祖祭祀です。忠も孝も礼もまず先祖祭祀が前提となり、先祖を敬い、目上を敬うとなるわけです。位牌は死者の魂が宿る場所と考えられ、肉体はいずれ復活して位牌に宿した魂と結びつくと考えたので土葬にしました。
日本で仏教のものと思われている葬式も儒教からパクったものです。日本でも半世紀前ぐらいまでは土葬が行われていました。私が生まれる前に亡くなった祖父なども土葬されたと聞いています。
人が死ぬと修行もしていない人でも成仏したなどとして、それなのに仏壇に儒教からパクった位牌を飾ってそこに魂が宿っているかのように祈り、かと思えば位牌に宿っているはずの魂を墓に迎えに行ったりする。何一つ仏教の要素がないこんないい加減な儒教を元ネタにした先祖崇拝を仏教だと思いこんでいるのはまあ日本人ぐらいのものでしょうね。
一方道教あるいはその前段階の方術では、始皇帝ぐらいの時代から葛洪ぐらいの時代までは仙薬を飲むと仙人になれると考え、後に修行した人は羽化登仙すると考えました。また、成仙したり天帝から官位を与えられて神になったりしなかった人は亡者として冥界に行くことになり、冥界は仏教の流入で地獄と名を変えました。
道教ではあまり魂と肉体が分離するという考え方はしないですね。神様も仙人も基本的には生きた人間そのものがそのままクラスチェンジして天界に行くものと考えます。葛洪は『抱朴子』で魂だけが肉体から抜け出して仙人となり、肉体が消失する尸解仙という設定を考えましたが、これは葛洪に儒者としての一面もあるからかもしれません。
孤魂信仰は、亡くなった人が体は埋葬されたけれど、その魂が収まるべき位牌がない、ということはこの世に迷って悪い鬼になるかもしれない —「鬼」は日本語で言う「霊」— ということから、ではだれかがお祀りしてあげなければという発想で生まれたものでしょう。ということは、そこにはやはり儒教的な考え方が下地にあると思うのです。
ただこれはあくまで民間信仰ですから、その流れで一部道教にも流入して??大衆爺廟や蘆洲文武大?爺廟のように、その祀る先を道教的な神像にしたところもできた。
そして、この聖公媽廟では、儒教的な伝統が強く残り、位牌が祀られているということではないかと思います。道教廟として扱うことを迷ったのはそういうように考えたゆえです。
まあ、私は学者ではないので完璧に的はずれなことを言っている可能性も高いですから、話半分として受け取ってください。
じゃあなんで道教廟として「最大公約数的」に扱うことにしたかというと、例えばこの竹林七賢の木彫り。
そして福徳正神。
左右にある炉のところは、私がお参りした折はもぬけの殻でしたが、おそらく七爺八爺の人形があって、たまたまどこかのお祭りに参加していたのではないかと思うのですね。
ゆえに、儒教的な発想で祀られている神様を、道教の神様で封じるということが行われていると思われます。ということで大雑把に見て道教廟です。
仏教の神の多聞天とか混ぜ込んで来ているのも道教的です。