台北市天師宮

迪化街二段は北上するごとに東寄りに曲がっていき、民族西路の手前あたりで延平北路と交差します。その交差点近くの延平北路にある廟です。このへんはどうやら草埔仔と言うようですが、便宜的に大橋頭に入れています。

天師というのは五斗米道の創始者・張道陵であり、張道陵の子孫からなる歴代の正一教の教主の称号でもあります。ぶっちゃけ五斗米道から天師道、天師道から正一教(正一道)に至るまでは数度の断裂があり、現在の正一教が五斗米道の直系であるはずないんですけど、正一教内では第64代天師まではとぎれなく張家に天師が継承されて来ていることになっています。

第64代天師・張源先氏は戦後国民党とともに台湾に渡り、2008年に亡くなったっていうか建前的には羽化登仙したことになっています。その後第65代を名乗る人が何人か現れ、本家元祖争いみたいなのをしているので、正統な天師位は空位です。

ただこの天師宮は1924年の日本時代に創建されているので、そういう正一教本流とはまた別の流れかもしれないです。

しかし、台湾人は生まれながらのチンピラみたいな中壇元帥をなぜこんなに好きなのでしょうか?

手前にあるハンコは「嗣漢天師印」。張道陵は老子のお告げによって天師になったといいますから、太上老君から賜った印璽という設定でもあるかもしれないですね。しかし、上記のように正一教の正統教主は戦後に台湾に逃げてきたわけですから、これは単に小道具であって本物の印璽というわけではありません。

首だけ五営神将。

これは天上聖母かもしれないし註生娘娘かもしれないし、わかりません。

康元帥と岳元帥は、玄天上帝配下の三十六天将に属する武将神。康元帥はどうやら実在の人物の神格化ではなく創作された神様。東嶽大帝配下の十太保の一柱でもあります。こういう設定ってすり合わせなく勝手に作られたものだから、あっちこっち複数の上司を持つ神様はたくさんいます。岳元帥のほうは岳飛の神格化です。

龍柱というのは道教廟の建築様式の一つ。でも色付き龍柱というのはめずらしい。

壁面には大きなレリーフ。こういうのの構図はだいたい仏画のパクりですね。

で、こういうのを見るといつも思うのです。そこは公道ではないのかと。