文武大衆爺廟は、蘆洲湧蓮寺のすぐ隣にある廟です。
湧蓮寺から正門を出ずに、成功路側の通用門を出た正面に建っています。
廟の中から見るとこんな感じ。この前の道路は、夜になると夜市になるようです。
主祭神は文武の大衆爺。大衆爺とは、孤魂=日本で言う無縁仏が悪霊となって害をなさないように神様として祀ったものです。そうした孤魂のうち、文大衆爺は病気や飢餓で亡くなった人、そして武大衆爺は戦争や武力闘争で亡くなった人です。
実は神像は金属のシャッターの向こうにありましたので、カメラのレンズだけ隙間に入れて撮影させてもらいました。シャッターといっても完全に塞ぐものではなく、網状になって隙間があるやつです。私はレンズの部分が飛び出るコンデジを使っているので、わりと狭い隙間にもレンズだけなら入れられるのです。一眼レフやスマホでの撮影だとそうはいきません。
私が調べた限りでは、大衆爺には城隍神や王爺千歳のような代天巡狩の職能はありません。代天巡狩というのは天帝より賜る役目ですから、孤魂がそうい役割を持たないのは当然。ということは、左右にいる将軍像は、孤魂が悪霊にならないための監視役でしょうか?
この派手な隈取の人は鍾馗。鍾馗は鎮宅駆魔、つまり家内安全と魔物の駆逐を職能とする神様ですから、鍾馗もいるということは私が考えた監視役説もそう的外れではないような気がします。
神様として祀られておとなしくしているうちはいいけれど、ここから出て悪さするならやっちまうぞという、孤魂の鎮魂というより封じ込めを目的としているような武闘派な雰囲気を感じます。
鍾馗の顔が派手なのは、鍾馗の豹頭虎面、龍額魚眼という見た目の設定を表現した京劇の隈取から来ているようです。
柱の彫刻にも鍾馗?