真聖堂は、圓環から歩いて10分ほど。南京西路の法主公廟の向かい側には「228事件引爆地紀念碑」があり、その横の路地を北上するとあります。
主祭神は孚佑帝君。真聖堂公式サイトの沿革を見ると、大正初年に文昌帝君を祀り、大稻埕の文人が集まって漢学や詩吟を学ぶ集会所としたのが始まりで、大正14年に徐純青という方が「孚佑帝君呂恩主」を奉り「警醒堂」という名で扶鸞による救済を目的とした鸞堂としました。
扶鸞は道教の神降ろし占いで、鸞堂はそこから発展した民間信仰ですが、儒教を宗とし神を祀るということで、儒教の一派だと言い張っていました。でもどう見ても道教です。昭和18年に総督府が公式に認可し「真善堂」と改称しました。
日本の台湾統治においては総督府は道教を非常に軽視しています。総督府は表向きには道教を弾圧まではしていないものの、実際には「寺廟整理」や区画整理、道路拡張という名目で多くの廟を取り潰し、弾圧に近いことをしていました。
特に皇民化政策が行われるようになってからは、台湾人にも国家神道を信奉させようとしていますので、台湾に根強い道教信仰は都合が悪かったのでしょう。その点儒教は忠孝の道として日本でも重んじられていたので、道教ではなく儒教だと言いはったのは、総督府に対しても都合がよかったのかもしれません。
しかし、現在の「真聖堂」になったのはいつかということが公式サイトには書いていないのですよ。台湾人は会話しててもそうなんですが、自分の頭の中でわかっていることは相手がわかってなくても省くという悪いクセがあります。
こちらはもともとは主祭神だったのに配神にされてしまった不憫な文昌帝君。
そして天枢上相という見慣れぬ神名。
実はこちらは諸葛亮です。天枢上相は台湾道教の主流派である正一教閭山派で祖師と崇められる許遜だとする場合もあるようですが、像のイメージは明らかに諸葛亮です。右手にいわゆる「諸葛扇」を持ってますし。それに正一教ではなく鸞堂の系譜だと明確にしていますし。
天枢上相諸葛仙師啟化真経(もしくは天枢上相諸葛先師啟化真経)という道教経典があります。これには「臥龍星宿 漢季儒人 報皇恩 ?曹伐魏 承帝命 扶漢成神(臥龍星宿、漢代の儒者、皇恩を報じ曹を呑んで魏を伐つ。帝命を承り漢を扶けて神と成る)」とあり、また「天樞上相 諸葛先師 加封金闕忠武天尊(天枢上相諸葛先師は金闕忠武天尊として加封された)」ともされています。この経典は誰が書いたのかはまったく不明です。多分諸葛亮のファンの人がでっちあげたつくったものでしょう。
関聖帝君はそこら中で見るけれど、諸葛亮が祀られているのは珍しいです。ていうか張飛はともかく劉備の立場…