芝山巖惠済宮

恵済宮前殿

芝山巖惠済宮は士林三大廟の一つです。台湾人は「三大○○」を作るのが好きですね。創建は1752年。1738年創建の艋舺龍山寺、1741年建立の士林神農宮、1742年創建の大龍峒保安宮に次ぎ、おそらく台北では4番目に古い廟だと思われます。芝山巌というのは、恵済宮がある小高い山のことです。

恵済宮入り口

MRT淡水線の芝山駅で降りると、芝山巌へ誘導する矢印があります。それに従って駅から10分ほど歩くと恵済宮へ登る階段が待っています。

恵済宮十八羅漢

階段の途中には十八羅漢像が並びます。非常に表情豊かな羅漢が多く、眺めていると楽しいです。階段はわりと急とはいえ、長くはないので登るのはそれほど大変ではないでしょう。

これが本来あった山門ではないかと思います。

恵済宮扁額

恵済宮開漳聖王

恵済宮の主祭神は開漳聖王です。開漳聖王は唐代の武将・陳元光のこと。陳元光は福建の漳州に跋扈する盗賊などを武力で制圧し、州の長官である刺史に任じられて漳州を治めました。没後は「唐開漳陳将軍」として崇められ、後に漳州の守護神として信仰されるようになります。

その後、漳州系福建人が台湾に移民する折に、自分たちの守り神として将来し、廟を建ててお祀りしたのが惠済宮です。

恵済宮註生娘娘

こちらは安産の女神・註生娘娘。註生娘娘は台湾では非常に多くの廟で祀られていますが、ここに安置されている像は他とちょっと雰囲気が違います。こうした冠も簪もつけていない註生娘娘はあまり見られません。

恵済宮後殿香炉

後殿に祀られているのは観音仏祖、地蔵王菩薩、孚佑帝君など。

香炉の正面には見事な龍があります。

目連尊者

これは目連尊者。釈迦十大弟子の一人・モッガラーナ尊者のことです。原始仏教の尊者が祀られているのは、中国で作られた偽経『盂蘭盆経』の主人公とされているからでしょう。『盂蘭盆経』は目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救うため供養を行うという筋書き。中国仏教では信者を得るために先祖崇拝を取り入れ、地獄の釜の蓋が開くという農暦7月15日の中元節に乗っかる形で、盂蘭盆会という行事をでっち上げました。これがつまり日本人が仏教の伝統行事だと思いこんでいる「お盆」というものです。

もちろんインド人のモッガラーナ尊者がこの像のような姿をしていたはずがありません。

恵済宮文昌帝君

後殿2階の中央に祀られるのは文昌帝君。この廟には玉皇大帝の像はありません。

文昌帝君御筆。文昌帝君は学問の神様なので、文昌帝君が祀られている廟には、玉・陶器・木などで筆をかたどったものが「文昌筆」が置かれています。しかし本物の筆を文昌筆としている廟は非常に少ないです。

恵済宮 関聖帝君

文昌帝君の隣には関聖帝君。足元の小さな像は、関平と周倉。この組み合わせは定番です。

関聖帝君の前にはこんな古銭のようなオブジェ。関聖帝君をお参りしてからこれをなでると財運が上がるそうです。私はなでても財運が上がる兆しはありませんが(笑)同じものは1階の福徳正神の前にも置かれています。

廣澤尊王

この廟で注目すべきところは、泉州三邑系福建人の守護神である廣澤尊王も祀られているという点。今でこそ漳州系だ泉州系だという違いで争うということはまず見られないものの、日本統治以前には同じ福建出身でも漳州系と泉州系は争うことが多かったのです。ですから、それぞれが奉じる神が一箇所に祀られているというのは漳州系と泉州三邑系の融和を表しているのではないかと考えられます。

さてこの恵済宮は、日本統治直後に初めて小学校が作られた場所です。日本統治が始まった1895年のその年に、恵済宮の一部を借り受け芝山巌学堂という学校が開かれ、8名の先生が教鞭をとっていました。しかし、統治が始まった直後はまだ治安が定まらず、抗日ゲリラや匪賊が跋扈していた状態。8名のうち6名の先生が匪賊に襲われ命を落としました。国民党は現在この先生たちを殺害したのは日本統治を不服とするレジスタンスだなどと主張していますが、実際は金目当ての強盗で、実際芝山巌学堂の物品が強奪されています。

六氏先生の墓

芝山巌は現在自然観察公園となっており、恵済宮の近くには殺害された6人の先生方、通称「六氏先生」のお墓があります。これは再建されたものですが、六氏先生の功績に感謝する台湾の方々が建てたものです。日本人ならばぜひお参りしてほしいところです。