台北市北西部の淡水川に沿った地域は大稻埕と呼ばれ、その中には迪化街も含まれます。
大稻埕は水運により古くから栄えており、迪化街は大稻埕碼頭に荷揚げされる商品を扱う問屋街として発展した街です。
慈聖宮は、迪化街の霞海城隍廟、南京西路の法主公廟とならび、大稻埕の三大廟に数えられます。
慈聖宮は天上聖母が主祭神の媽祖廟です。
媽祖の前に並べられた諸神。前列は全部中壇元帥です。台湾人は中壇元帥が好きで、中壇元帥軍団はよく見る光景です。
道教の廟には龍と虎の壁面彫刻や絵などが必ずあるものですが、こんなにきれいに飾られた龍は珍しいです。
正殿の裏側には龍井。祭壇の対聯には龍神が地脈を興し、井水を財源に換えると書いてあります。水を司る神である龍神が地脈を通して水を引き、その水によって地域が発展して財を生むといった意味ではないかと思います。沖縄にも井戸を神聖視する信仰があります。一般的には水が貴重だったためと説明される沖縄の井戸への信仰も、あるいは道教文化の影響によるものかもしれません。
慈聖宮は1866年創建の由緒ある廟です。ただ、日本時代の1910年に元あった廟が区画整理を名目に取り壊されています。日本の台湾統治は概ね好意的に見られていますが、道教に対してはいくつもの廟が取り壊されたり、接収して教育施設にするなど非常に現地の信仰を軽視した明らかな弾圧が行われました。日本の統治にはこうしたネガティブな部分があることも知っておくべきでしょう。
現在の場所に再建されたのは1914年のことでで、しかもそれは総督府が補償したわけではなく、信徒有志の寄付によるものでした。このような例は台北だけでもいくつもあります。
古い歴史を持つこの廟には、こうした古びた木彫りが数多く見られます。これはおそらく金色に塗られていたものが、時代とともに禿げていったのでしょう。ところどころに金色の名残が見られます。
こうしたものに「枯れた」美しさを見出すのは日本人ならではなのかもしれません。
大稻埕慈聖宮へは、重慶北路のカルフールの前の信号を西に渡り、保安街をまっすぐいくと右側に図書館があるので、その角を曲がって北に進むとあります。