士林慈誠宮

士林慈誠宮は士林三大廟の一つです。日本人にも有名な士林観光夜市の近隣にあります。というよりは、そもそもは士林夜市は慈誠宮の門前夜市として生まれたものでした。

入り口から見ると前の通りは屋台街になっています。また、この正面奥に行けば2011年にできたばかりの新しい観光夜市があります。廟の出入り口の部分には座らないようにとの注意書きがあり、実際台湾人のほとんどはルールを守るので、出入りが邪魔されることはありませんが、その左右の階段には屋台で買ったものを座って食べている人がたくさんいます。

慈誠宮は媽祖廟です。創建は1796年と古く、名称は芝蘭街天后宮でした。芝蘭街というのは今慈誠宮がある場所よりも北にある現在「旧街」と呼ばれているあたりで、天后は媽祖を意味します。士林在住の漳州系福建人からは、同じく漳州系の守り神である開漳聖王を祀る芝山巌恵済宮よりも気軽にお参りに行けるということで信仰を集めていたようです。

ところが、その後泉州系福建人と漳州系福建人の械闘が起こり、芝蘭街天后宮は燃やされてしまいました。械闘というのは集団武力抗争のこと。日本に統治される以前の台湾では、客家人と河洛人という人種の違いだけではなく、同じ福建出身でも漳州と泉州の違いだとか、そうした移民グループ同士の主に縄張り争いから発生した械闘が続発し、殺し合っていたのです。

元の廟が燃やされてしまったので場所を移し再建されたのが現在の場所で、その時に名称も慈誠宮と改められました。

今は以前はなかった大きな媽祖像が置かれています。

ちょっと失礼して後ろへ回ると、背中側も手抜きなく装飾が施されていました。台湾人はいろんなところで手抜きしがちな人たちなのに、信仰のこととなると手抜きをしないのがおもしろいと思います。

ここにはなぜか張天師と孚佑帝君が同じところで祀られています。なぜかというのは、張天師を始祖とする正一教と、孚佑帝君を祀る恩主信仰は別系統だからです。孚佑帝君を祖と仰ぐ全真教は台湾では見られません。台湾に伝わっている可能性も否定はできませんが、台湾において孚佑帝君を祀るのは、扶鸞信仰の系列である恩主を信仰する系統です。

公式サイトによれば、1972年に行われた五朝福醮というお祭りの際に張天師のハリボテが作られて礼拝され、その後ハリボテでは長持ちしないということで像が作られたそうです。つまりそれまでは張天師は祀られていなかったわけですね。

あくまで想像として言えば、その時にお祭りをしたのが正一教の道士で、張天師を持ち込んだのかもしれません。

城隍神と福徳正神が並べてあります。日本のwikiには城隍神と福徳正神が同じという大嘘が書いてあります。実際にはこのように別々の神様で、城隍神が福徳正神の上司のような立場になります。

玄天上帝の隣には、漳州系福建人の守護神である開漳聖王もひっそり祀られています。

そしてこちらは廣澤尊王、泉州三邑系福建人の守り神です。芝山巌恵済宮にもこの二神が祀られています。

漳州系と泉州系、かつて争っていたグループそれぞれの守り神が同じところに祀られるようになったのはいつごろのことなのでしょうか?おそらく日本の統治を受けたことにより、出身地ごとのアイデンティティよりも「台湾人」としての共通認識ができたからではないかと思います。また、日本の統治により武侠小説のような世界から文明社会になったこと、世代が進み、出身地の違いで争う意義が薄れたことなども影響しているかもしれません。

こちらは派閥うんぬん、宗派うんぬん関係なく台湾で人気の中壇元帥。関帝聖君ほどではないけれど、とにかく姿を見ない廟のほうがめずらしいというぐらいどこにでも像があります。

中壇元帥が置かれているテーブルの下には、虎ちゃん神様がいます。

日本人御用達みたいになっている士林夜市の近くにありながら、日本人の姿はほとんど見ることはありません。ついでと言っては失礼ですが、士林夜市に行ったおりにはお参りもどうぞ。