真聖堂は、圓環から歩いて10分ほど。南京西路の法主公廟の向かい側には「228事件引爆地紀念碑」があり、その横の路地を北上するとあります。
投稿者: 森玄通
台北慈皇宮
三聖太子宮
大橋頭福徳廟
日本人には「お土産街」扱いされている問屋街・迪化街は、かつては問屋が途切れるあたりから廃墟のようにさびれていたものですが、最近では古い建物を利用した再開発が進んでおり、新しいお店も目立つようになってきました。しかしそれも台北大橋で遮られる迪化街一段までの話です。
先嗇宮
行天府
豬屠口協天宮
艋舺集義宮
集義宮は、萬華を南北に走る康定路を、萬華駅のほうに行くとあります。創建は日本が台湾を領有した5年後の1900年といいますから、なかなかに歴史がある廟です。ただ、現在の建物は25年ほど前に建て直しされたもののようです。
艋舺行徳宮
艋舺真武殿
台湾の道教信仰・中国南部の民間信仰は、中国からの移民によってもたらされたゆえに、道教廟は清の頃から開かれた古い街により多く存在します。日本時代になって交通インフラが大幅に発展するまでは、台北の流通は基隆川や淡水川を使った船運が中心だったため、古い街は川沿いに集中しています。萬華は川沿いにある台北で最も古い街なので、道教廟も密集しています。
士林市場福徳宮
台北市文昌宮
文昌宮は中山区の西ぎりぎりの場所にある廟です。
中山区っていうのは非常に広い範囲なんですが、「大龍峒」みたいな伝統的な地域名がわからない場所にあって中山区内にある廟はとりあえず中山区に入れてしまいます。
木柵集應廟
猫空の指南宮に行くにはMRT文山線の動物園駅まで行ってからロープウェーに乗る方法と、どこかから指南宮まで行くバスに乗って行く方法があります。私が指南宮に行った時は萬芳社区駅からバスに乗りましたが、集應廟はその時に途中下車した木柵市場の近くにありました。
艋舺金義宮蕭府王爺
松山慈恵堂
松山慈恵堂は台北市東部郊外にあるハイキングコース「虎山親山歩道」の入り口横にある廟です。創建は1969年と比較的新しく、現在の堂主である郭葉子さんという方が天命を受けてまず基隆のご自宅に堂を開き、翌年台北に移動。そして1979年に瑤池金母が降りてきて済世道場を作れと指示されたために、現在の場所に大きなお堂を建てたとのこと。
艋舺啟天宮
艋舺啟天宮は龍山寺から歩いて10分ほどの近くにある媽祖廟です。
創建は龍山寺より100年ほど後とはいえ、まだ清朝統治時代の1841年と古く、おそらく日本人にはほとんど知られてはいないと思われますが、萬華では広く信仰を集めている廟です。
行天宮
行天宮は台北最大の関帝廟であり、別名は恩主公廟。恩主信仰に連なる廟です。日本では行天宮の前の地下道にある占い横丁がクローズアップされて、行天宮はそのおまけみたいな扱いになっているのが非常に気に入らないですね。
覚修宮
士林神農宮
士林神農宮は士林三大廟の一つです。台湾のwikiによれば、もともとあった福徳宮が洪水で流されてしまったために1741年に再建。再建が1741年ということは、1738年創建で台北最古といわれている艋舺龍山寺より創建は古いという可能性もあります。
士林慈誠宮
法主公廟
天皇宮
艋舺大衆爺廟
艋舺地蔵王廟
松山慈祐宮
松山慈祐宮は、台湾鉄道松山駅から歩いて数分、台北最長の夜市として知られる饒河街観光夜市の入り口にあります。そもそも台湾の古い夜市というのは廟と一体になっているところが多いです。日本で神社の参道に縁日が立つのと同じ理屈です。
違うのは、日本の場合縁日はお祭りの時しか立たないのに対して、台湾の夜市は常設であること。
松山奉天宮
景福宮
景福宮は林森北路の北の端近くにある三階建ての大きな廟です。現在の建物が落成したのは2001年で、台北の中でも新しいものですが、公式サイトを見るともともとは1875年に中山区の農村に建てられた小さな福徳宮だったものが、信徒が増えて何度かの移設や改築を経て現在のものになったようです。
芝山巖惠済宮
芝山巖惠済宮は士林三大廟の一つです。台湾人は「三大○○」を作るのが好きですね。創建は1752年。1738年創建の艋舺龍山寺、1741年建立の士林神農宮、1742年創建の大龍峒保安宮に次ぎ、おそらく台北では4番目に古い廟だと思われます。芝山巌というのは、恵済宮がある小高い山のことです。
指南宮
指南宮は台北郊外で鉄観音茶の名産地として知られる猫空にある広大な廟です。台北ナビでは台湾道教の総本山と紹介されていますが、そういうわけではありません。これについては、指南宮側も我こそが総本山なりなどとは名乗っていません。そもそも台湾の道教にはいくつかの系統があって入り混じっており、総本山なるものは存在しないのです。