台南の路地をうろうろしているときに出会った廟です。
路地裏の小さな廟ですが、創建は清朝統治時代の乾隆11年=1746年と300年近い歴史を持つ由緒ある廟でした。
福建の泉州から台南に移民して来た盧さんの一族が郷里の信仰をもちこんだということのようです。
入り口の天公炉。後ろに、本来黒いはずなのに灰色になっている黑令旗があります。相当の年月掲げられているのでしょう。
主祭神は黃府千歲。王爺千歲信仰の系統です。
しかし、黃府千歲という神名はあまり聞いたことがありませんでした。台湾国内でも、黃府千歲を主祭神とする廟は、この南沙宮と屏東県の東港鎮海宮のわずか二座のみだそうです。
ただし、その二座での黃府千歲はそれぞれ誕生日が異なるので、同じ黃府千歲という神名でも違う来歴だと思われます。
黃府千歲の前には包府千歲=包拯が祀られます。机の前に座っているのが包拯です。包拯は宋代に実在した人物で、厳しく役人の腐敗を取り締まりました。
後に様々な伝説が作られていて、地府で閻羅王になったとも言われます。
並ぶのは「大房頭六姓府千歲」と呼ばれる王爺千歳です。
朱王府は台南という土地柄から考えると鄭成功である可能性もあります。鄭成功は隆武帝より明朝朱家の姓を賜ったゆえに「国性爺」と称されます。
十三王府は岳飛の配下の施全という武将。岳飛が謀殺された後、秦檜を暗殺しようと企てるも失敗して斬首された人物です。
岳飛と義を結んだ男たちの中で十三番目だったので十三王と呼ばれます。
欽王府はよくわからないです。
黃王府は黃府千歲の弟の黃府二千歲です。
前衛に立つのはやはり中壇元帥。
祭壇の下に並ぶ虎頭鍘、龍頭鍘、狗頭鍘。鍘というのは刑具のこと。断頭台のようなものです。
後の小説などで包拯が使ったものとされました。
廟に置かれるのは王爺千歳としての包府千歲が悪鬼を罰するぞという魔除けの意味があると思われます。
その横に謝将軍。
奥に祀られるのはこちらも多分黃府千歲と、福徳正神。
台湾では城隍爺の信仰と王爺千歳信仰が習合しており、城隍爺に似た代天巡狩の職能を持つ王爺には、本来城隍爺の配下である七爺八爺が付けられることが多いです。
後ろに狄青元帥の大仙尪仔の写真があります。
狄青は宋代の武将で、兜をかぶらずに仮面をつけて戦ったというシャアみたいな人です。
こちら側には范將軍。
奥には五營神將と、隅っこに関聖帝君。
入り口にも五營神將の祠があります。五營神將が位牌で祀られているのはけっこう珍しいです。
祠の横には、神馬の駐留を示す飼い葉に見立てた草と水桶がありました。