全台開基藥王廟

台南西部に今注目されるスポット「神農街」があります。神農街は古い通りに残された家屋をリノベーションしたショップが集まっていて、オサレなレトロストリートとして人気を集めているということです。というのは後で知ったことで、訪問時はそんなことは知らず、特に気にせず歩いていました。

神農街の西の突き当りにあるのが開基薬王廟です。

左に見える空色の建物は、日本統治時代初期に活躍した豪商・許藏春の旧家。許藏春は台南の経済発展に貢献したとして台南市より歴史名人(歴史的著名人)に指定されています。

神農街は薬王廟の主祭神が神農大帝であることから名付けられました。

ただし、主祭神「薬王大帝」が神農だというのは薬王廟側が主張していることだそうで、清代の文人・高士奇による『扈從西巡日録』、戦後の台湾の歴史学者・洪敏麟による『臺南市市區史蹟調查報告書』では薬王大帝は扁鵲のことであるとしています。

とするとこの神農像は廟側が薬王大帝=神農であるという主張を補強するために祀ったもので、その後ろの神像は実は扁鵲であるという可能性もあります。

もっとも、鍼灸師の立場からすると扁鵲は『八十一難経』を著した鍼灸の名医というイメージのほうが強いため、薬王ということでいうなら神農のほうがふさわしいようにも思えます。

配祀は白府千歳。

白府千歳は秦の将軍白起であるといい、また白鶴童子であるともいいます。設定が定まっていないのは王爺千歳にはよくあることです。

ただ、天帝の勅により地上の悪鬼を討つ代天巡狩という職能を考えれば、白起のほうがふさわしいと言えるでしょう。

もう一方の配祀は天上聖母です。その前には関聖帝君、中壇元帥など。

一階の拜拜が終わったら三階に登ります。

三階からは神農街を見渡すことができます。

三階の中央にも薬王大帝が祀られます。

左右の配祀は福徳正神と註生娘娘です。

正殿の外には簡素な祠があります。

その奥に榕樹公。榕樹公は榕樹、つまりガジュマル自体を神様として信仰するものです。

榕樹公は、大樹公という樹木信仰の一部に入ります。

大きい樹木に霊性を認め、神として信仰するのは台湾土着の信仰であるようです。こちらは樹木そのものを祀る方式であり、沖縄のガジュマルの精・キジムナーとはまた違うものであろうと思います。