萬華雙福宮

台湾で最も多く祀られている神様は?これは媽祖でも関聖帝君でも中壇元帥でもなく、福徳正神であると言って間違いはないと思います。福徳正神は土地神様ですからそれぞれの土地にいることになっていて、これは天界神である神々、例えば玉皇大帝が複数の廟で祀られていても、それはただ一柱の玉皇大帝が祀られていることを意味するのとは異なり、それぞれの土地にいる福徳正神はそれぞれ別の神様であるということになっています。城隍と同様「福徳正神」は固有の神名ではなく土地神の称号であると考えていいでしょう。

萬華の西藏路と西園路の交差点に雙福宮という福徳正神廟があります。廟の正面に伸びているのが、MRT龍山寺駅から南西方面に走っている西園路、交差点の正面にまっすぐ伸びているのが雙園街、その間に西藏路という位置になっています。

西園路をさらに南西に行くと光復橋という新店渓渡る橋があります。これは元は昭和橋といい、昭和8年=1933年竣工。台北と板橋をつなげています。昭和橋ができたときにはすでに雙福宮があり、台北から板橋方面へ行く人戻ってきた人、板橋から台北へ来た人などが通りすがりに安全を祈ってお参りしていたとのことです。

道路に挟まれた三角形の地形に合わせて廟をつめこんでいるといった感じ。

福徳廟らしく小ぢんまりとした廟です。

しかしきれいに清掃され、花が奉納された様子から、現在でも篤く信仰されていることが伺われます。

祀られているのはシンプルに福徳正神のみ。

それと福徳正神の乗騎の虎ちゃんです。

廟内には蛭子能収さんが描いたようなヘタウマ絵があります。これは儒教の徳目である「孝」を説いた「二十四孝」が描かれています。

揪腥救父は、虎に襲われた父を助けるために自分が犠牲になった楊香。

孝感動天は、バカな父や傲慢な継母にも孝を尽くす舜の姿に感動した天帝が象さんをつかわせて農耕を手伝わせ、それを知った堯が娘を娶らせて帝位を譲ったという話。

拾椹供親。王莽の乱の時に田畑が荒れたため蔡順という人物が桑の実をとって、未熟な実と熟した実を分けていたところ、反王莽の赤眉軍が通りかかり、将軍がなぜ分けているのかと問いました。蔡順が熟した実は母のため、未熟な実は自分が食べるために分けているのですと言うと将軍はその孝心に感動し、牛と白米を与えたという話です。

臥冰求鯉。継母に虐げられていた王祥はそれでも孝を尽くしていたところ、ある日継母に真冬に鮮魚が食べたいと言われ、湖にとりに行きました。ところが湖は凍っていたためにどうにかしようと王祥が氷に身を横たえると、氷が裂けて鯉が二匹飛び出てきたのでそれを母に食べさせたという話。

天賜黃金。郭巨の家には老母と妻、幼い息子がおりましたが非常にまずしい暮らしをしていました。しかし老母は孫に自分の食べ物を分け与えていました。郭巨は子供はいなくなってもまた作れるが、母は一人しかいないと、子供を埋めてしまうことにしました。土を掘っていると、その中から黄金が掘り出され「孝子郭巨黃金一釜以用賜汝」と書かれていました。

二十四孝についてはいろいろツッコミどころがありすぎで、福沢諭吉などは『学問ノススメ』で激しくツッコミを入れています。また、天賜黃金については魯迅も意味わかんねえと言っています。孝という徳目を強調するあまり、ストーリーがアホになりすぎてしまったということですね。

日本人はなんでも分けるのが好きですが、道教の中にも儒教の徳目は取り入れられているので、道教の廟にこうした絵があるのは何の不思議もありません。