左営の蓮池潭にそびえ立つ玄天上帝は元帝廟北極亭という名称からもわかるように左営元帝廟が建てた宗教施設です。それはこの近くにある城邑慈済宮が龍虎塔を建てたのと同じような関係です。1648年に近隣の漁師が海辺で玄天上帝の神像を拾い、草庵を建てて祀ったのが始まりとされていますが、それは疑わしく、1666年に祠を建てたというのが本当の創建年ではないかと思われます。鄭成功が台湾を占領したのが1662年のことなので相当に由緒がある廟です。
もとは元天上帝廟といい、清朝統治時代の乾隆年間に立て直しをしたときに元帝廟となりました。元天上帝は玄天上帝の別名というよりは書き間違えかもしれません。元と玄は現代北京語では発音が違いますがどこかの方言では発音が同じだったのかもしれません。ちなみに台湾語でも元と玄は発音は違うので、台湾で間違えられたということはなさそうです。
北極亭の前に元帝廟への参道があります。奥にあるいかにも道教廟らしいごちゃっとした建物が元帝廟です。
龍虎塔の目の前に慈済宮があるのとは違い、少し歩きます。
正面に小さく玄天上帝像が見えます。横に見えるでかい建物は護安寺という仏教寺院(道教まじり)です。
廟内は奥行きが広くなっています。
正殿中央の玄天上帝。田都元帥や清水祖師なども配祀されているということですがよく見えませんでした。
二甲というのは保甲制の甲のこと。これは日本の江戸時代にあった村落の五戸を一つの組としてなにかあったときに連帯責任をとらせ、そうならないように相互監視をさせた「五人組」と同じような制度で、甲は10戸単位となります。その甲それぞれに守護神が割り当てられており、二甲は夫人媽つまり臨水夫人です。臨水夫人は、正一教閭山派の女性道士・陳靖姑が祀られた神様です。
そしてこちらが三甲の守護神・福德正神。
正殿のお参りが済んだら階段を登って凌霄殿に行きます。その途中に月下老人を祀った月老祠があります。
凌霄殿は玉皇大帝の宮殿です。玉皇大帝の前に三尊の像が置かれているときはだいたいは三官大帝です。玉皇大帝の左右はおそらくは太陽星君と太陰星君でしょう。
万霊を統御するのがまさしく天界の皇帝である玉皇大帝の権能となります。
左右に配されるのは死を司る北斗星君と、生を司る南斗星君。北斗の拳の元ネタです。すると天帝守護の元斗皇拳は“元”天上帝が元ネタでしょうかね?
凌霄殿の右側には位牌の形で五文昌。文衡聖帝=関聖帝君と孚佑帝君=呂洞賓が文昌戦隊のリーダーである文昌帝君より上に置かれているのはなんでしょうか?こういうのは宗派どころか廟によっても設定が違うので、ここでは関聖帝君と孚佑帝君のほうが偉いということになっているのかもしれません。
左側には太歳殿。
多分後殿に祀られていた玄天上帝。何分行ったのは1年前なので記憶が定かではありません。右側に大正乙丑年とあります。大正乙丑年は大正14年=1925年のこと。塗り直してあるため新しく見えるようで、実際には100年近く前に奉納されたものだということになります。