城邑慈済宮

高尾の左営蓮池潭といえば、龍虎塔がそのシンボル的存在であると言っていいでしょう。ただ、龍虎塔はアトラクション的な観光施設ではなく、あくまで布教のために作られた宗教施設であることを理解すべきです。そして、布教のために龍虎塔を建てたのが、龍虎塔の正面に立つ城邑慈済宮です。

城邑慈済宮は17世紀末鄭氏政権が台南を占領した後左営に疫病が流行したため、厦門の青礁祖廟から保生大帝の像を迎えたのが始まりという伝説がありますが、これは少し疑問です。

廟自体は18世紀初頭には左営の北にありました。日本時代になって左営に軍港を造るために追い出され、神像は內惟鎮安宮などを転々とした後、1959年になってやっと現在の位置に廟が再建されました。

天公廟の正面に龍虎塔が見えます。

慈済宮の主祭神は医神・保生大帝です。保生大帝は宋代に実在した名医・吳夲のこと。吳夲は薬草をとりに山に入ったところ足を滑らせてなくなりました。しかしその死は後世羽化登仙したと伝えられています。高名な医師はその死後に神格化されることがあります。華陀や扁鵲なども神として信仰されています。吳夲もまた、保生大帝という神様になり、数々の伝説が作られています。

保生大帝の右に祀られるのが朱府千歳。台北でよく見る朱・池・李三府千歳の場合朱府千歳は唐高祖の家臣朱叔裕のことだと考えられています。しかし、この慈済宮においては鄭成功だと考えられているようです。鄭成功は国性爺つまり明朝朱氏の姓を賜ったということで、台湾の一部では朱府千歳=鄭成功となっています。

左側には曹府千歳。曹府千歳は清代に高雄知県となった曹謹のこと。曹謹は赴任後治水に務め、そのとき造られた灌漑用水路は「曹公圳」として今に伝わります。治水に努め、成果を上げた政治家は禹を嚆矢として信仰対象になりますね。

朱府千歳、曹府千歳などの「王爺千歳」は天帝からの勅命を受け、地上の霊的な治安を守る役割を持ちます。


朱府千歳の右には安産の神様註生娘娘、曹府千歳の左には土地神の福徳正神が祀られます。

廟内の天井には保生大帝にまつわる言い伝えの絵があります。これは「王母伝法」の画。吳夲が17歳のおり崑崙山に連れて行かれ、西王母に医術を授けられたという伝説があります。現代の感覚では、神様に教わったというより自分の努力で学び取ったというほうが価値があるように思えるところですが、昔の人はあまりに高い技術は神様から授かったものだと考えたのでしょう。

宋の仁宗のご母堂が病気になったときに名医と評判の吳夲を召されたものの、その腕前を見るためにベッドの足とか猫の足に紐をつけ、隣の部屋の吳夲に脉診をさせたところ、ことごとくそれを言い当て、感心した仁宗がその後母親の手首に糸を巻いて脉診させると、病をぴたりと見極めて薬を出し、見事治してみせたという伝説です。もちろんこれは伝説に過ぎず、紐を通して脉診などできません。脉診を知らない人が作った話です。

この伝説は日本に伝わり、江戸時代の女医・野中婉の伝説として丸パクリした「お婉さまの糸脈」という話が作られています。

これは「医虎喉」。人食い虎が喉に人の骨(食べた女性のかんざしとも)がひっかかって苦しんでいたところを吳夲が治してあげたというお話。それ以後虎は吳夲の膝下に侍るようになったとか。

慈済宮にも虎ちゃんがいます。アメを供えたのは日本人ではなく、単に台湾には日本のお菓子とか日本語が書いてあるお菓子がいっぱい売られているだけです。