鎮安堂飛虎将軍廟

飛虎将軍廟は一部の日本人に知られてる台南の廟です。というのも、主祭神が日本軍人杉浦茂峰少尉(散華時には兵曹長)が神格化された飛虎将軍だからです。

このへんちょっと誤解されている部分があると思うんですが、例えば日本でも天神様=菅原道真かというと微妙に違う。死後に祟りを起こすようになった(と信じられた)菅原道真の魂を神として祀ったのが天神様であって、生前の個人と神様は同一ではない。もっとわかりやすく言えば、関聖帝君が関雲長そのものではないというのと同じことです。

杉浦少尉は、1944年の台湾沖航空戦にゼロ戦で出撃。機体に銃撃を受けました。そのまま脱出すれば助かったという状況だったものの、そうすると飛行機が付近の村に墜落する恐れがあったため、ギリギリまで村のはずれまで操縦したため脱出が間に合わず散華されました。

今飛虎将軍廟が建っているのは、杉浦少尉の機体が墜落した畑だった場所だといいます。

台南駅から3路のバスに乗り、同安路口か海東里で降りてから同安路をまっすぐいけば着きます。日本人参拝客を歓迎してくれていますが、日本語が通じる人ばかりがいるわけではないので図々しく日本語で語りかけるのはやめたほうがいでしょう。

これが飛虎将軍の神像。神像が金属の柵のむこうに置かれているのは台湾ではよく見ることなので、変な勘違いして発狂しないように。

さて、この廟が建てられたのは杉浦少尉の戦死時でもなければ終戦直後でもなく、杉浦少尉の散華から27年たった1971年です。終戦後しばらくたって、杉浦少尉のおかげで助かった村の人々が、日本海軍の軍服を着た人物の夢を同時多発的に見るようになりました。そこで保生大帝にお伺いを立てたところ、それは村を守るために散華された日本軍人だという。そこで小さな祠が建てられ、後に現在の建物に建て直されました。お伺いというのは道教式の占い「扶乩」ではないかと思われます。これは神様にお伺いを立てると砂の上に神意を示す詩文が自動書記されるというものです。

杉浦少尉が村の近隣に墜落した様子は何人かの村人に目撃されており、パイロットが杉浦少尉であることもわかっていたそうです。杉浦少尉を顕彰するということなら、戦時中や戦後すぐの国民党に占領されるまでの間にもできたこと。なぜわざわざ蒋介石の存命中で国民党の排日政策が強かった時期に、日本軍人を神格化した廟が建てられたのか?

このへんはあくまで推測ですが、これは台湾の孤魂信仰と関係があるように思います。孤魂信仰というのは、闘争や疫病などで亡くなり、その後祀られることがなかった「孤魂(日本で言う無縁仏)」は悪霊になるため、地域で祀って鎮めようという信仰のこと。村の人々が同時多発的に杉浦少尉(らしき日本軍人)の夢を見たというのも、村を守って命を落としながらも祀られていないという意識が蓄積して起こった現象でしょう。

杉浦少尉は実際にはまだ日本時代のうちに高雄と日本で葬儀が行われています。しかし、それは日本人のうちで行われたことであって、現地の人たちはあずかり知らないところです。亡くなった人の魂は位牌にお迎えしなければその場で迷ってしまうという信仰もありますから、現地の人たちの認識では杉浦少尉の魂はまだそこに留まっていたのです。だから祀って悪霊にならないようにしなければならなかった。

ただし、人物がはっきりしない人の魂の集合体である有應公ではなく、英雄神を意味する将軍号を付けた神様として祀られたのは、やはり村を守ってくれた軍人であるからという意識があったのではないかと思われます。ですから、この廟は台湾の道教や民間信仰の土壌の上に建てられたものであり、そこをすっとばして日本軍人が神様になっている部分だけ単純に見るべきではないというのが、台湾の廟を巡ってきた私の考えです。

靖国神社の御札が供えられていました。道教の神様として祀られているところに神道の御札持っていくのはどうよと思います。

この廟を紹介した記事に、他の台湾の廟とは違い飛虎将軍が単一で祀られているなんて書いてあるものがありましたが、五営旗、つまり五営将軍も祀られています。五営旗と日の丸が並んでいるのはここでしか見られない光景ですね。

壁面の奉納レリーフは他の道教廟と同様中国の故事を描いたもの。写真は日本からの参拝団のようです。

中央にあるのが杉浦少尉の写真。杉浦少尉の姉君が奉納されたものだそうです。