台北新福宮

林森北路をぷらぷら北上し、シンシンデパートを過ぎてさらにもうちょっと北に行った路地にあります。住所的には新生北路の路地となっていますが、林森北路向いてるからまあ林森北路でいいでしょう。

林森北路はやたら日本人が多い通りですから、このよく言えば簡素、ぶっちゃけ適当な作りの牌坊に見覚えがある人も多いはず。

主祭神は新登公。純粋に台湾で生まれた神様です。

日本が統治する以前の台湾は、とにかくあっちこっちで民族が違うといっては殺し合い、出身地が違うといっては殺し合い、とにもかくにも殺し合うという社会でした。こういう殺し合いを械闘といいます。

で、とりあえず見つけた資料によれば、清代に鄭新登という人が械闘で死に、流されてどこかに流れ着いた死体を心ある人が埋葬してあげたといいます。日本時代になってから農地を広げるためにその墓地を掘って、骨を集めて合葬するということがありましたが、鄭新登を埋めたところからは香炉が一つ出るのみで骨が残っていなかったので、家族が香炉を故郷の持ち帰って記念としてお祀りしました。

ある日その香炉を斜めに見た人がいました。おそらく因縁つける感じで「ああん?」と見たのでしょう。すると、その男の首が曲がったまま伸ばせなくなったので、男の奥さんが香炉に線香を立てて謝り、廟を建てたところ、男の首が治ったということで、それ以来神様として信仰されるようになったとか。

えーとまず、鄭新登という名前は持ち物とかそういうのでわかったかもしれませんが、流れ着いて誰も埋葬してあげなかった死体を現地の人が埋葬してあげたのに、なぜ香炉が出たら家族が持っていくことになったのか?日本人はまあ台湾統治についてはいいことばかりいいますけどいろいろやらかしてもいますから、墓地を農地にするぐらいのことがあっても不思議ではありません。しかし、今より迷信深い明治・大正の人が骨全部集めてまとめて埋めるなんてことしたでしょうか?

そもそもそういう開拓には総督府の許可が必要なはずなので、仮に墓地を農地にするにしてもそういう適当なことしないと思うのです。

骨がなく香炉だけだったというのは、つまり尸解仙になったことを暗示する後付でしかありません。香炉をにらんだら首が動かなくなったというのも怪しい限り。つまり8割9割は嘘ですねこれ。矛盾を気にせず適当な話作るのがいかにも台湾人らしいです。

鄭新登という名前も怪しい。こっちには新丁公と書いてありますし。

多分ここは陰廟、つまり祀る人がいない孤魂を祀った有應公のような神様の廟ではないかと思います。多分械闘で死んだ人を祀ったという部分のみが本当で、あとは後付。名前すら後付という可能性もあります。

同じ敷地内に地蔵王菩薩の祭殿があるのも陰廟であることを思わせます。地蔵王菩薩=陰廟というわけではないですが、孤魂を神様と祀った廟と、亡者の救済者である地蔵王菩薩の組み合わせの例は他にも見られます。

新福宮の新のほうは新登公のこと。福は福徳正神です。となりには玄天上帝がいます。玄武を踏んづけていますね。

小さな廟ですが美術的な部分でも見どころがあると思います。