日本でも城隍廟や台湾土産を買うスポットとして知られている迪化街。しかし観光客が多く訪れるのはその一段で、迪化街を北上すると、もうただの住宅街でしかない迪化街二段があります。
保安社は、その迪化街二段の一番北にある廟です。
どうして違う廟が二座くっついて建っているのだろうと思っていたら、どうやらこの二座でワンセットになっているようです。Facebookには「萬和宮保安社」という名称でページがあります。
ではまず萬和宮のほうから。こちらは福徳殿になっています。
天公炉の前が迪化街二段。ここから数分歩くともう迪化街の終着点になります。
観音仏祖。伽藍菩薩の関羽と韋駄天。その前に太歳星君。で、その後ろに南極老人というちょっととっちらかった組み合わせ。南極老人は長寿をつかどる神様です。南極老人は南斗星君と同一神とも考えられているようですが台湾のwikiによればそれは民間での考え方で根拠はないといいます。別の地域でそれぞれ考えられた似たような神様が、後に混じり合ったということがあったのかもしれません。南極老人は寿老人として七福神の中にパクられています。
こちらは誰だかわからないんですが、横に文判官がいるのでたぶん中央は城隍神でしょう。文判官は城隍神の配下で頭の横に軍配みたいなパーツをつけて、城隍神が下した判決を記す筆とノートを持っているのでわかります。
では次に保安社のほう。
こちらに祀られるのは、西秦王爺、田都元帥、城隍神、謝将軍、范将軍。
西秦王爺と田都元帥はともに芸能神で、それぞれ信仰する劇団が違いました。日本が統治して文明化する以前の台湾は修羅の国みたいなもので、民族が違うといえば殺し合い、出身地が違うといえば殺し合うような土地でした。そりゃ清国だって「化外の地」とか言うわけです。
というわけで、西秦王爺を信仰する劇団と田都元帥を信仰する劇団も殺し合いをする間柄でした。縄張り争いとかがあったのかもしれませんけど、とにかくなにかといえば殺し合うのが清国統治時代の台湾です。だから、その時代にはこの二神がいっしょに祀られるのはありえませんでした。
ところが日本の統治によって台湾住民もすこしずつ原始人から文明人になったので、昔殺し合っていた劇団も交流をもつようになり、今では二神がいっしょに祀られるのもめずらしいことではありません。
ちなみに西秦王爺にはいろんな設定がありますけど、一番メジャーなのは唐の玄宗の神格化という説。まあ他の設定は玄宗よりはかすむので、有名人の玄宗だとする設定が支持されるのはわかります。
ガラス張りのところに光が入って上手に写せませんでした。まわりには中壇元帥の他に城隍神配下の将軍たちがいます。
この中壇元帥は顔が長くてブサイクですね。
あとはおなじみの謝将軍と范将軍。