木柵集應廟

猫空の指南宮に行くにはMRT文山線の動物園駅まで行ってからロープウェーに乗る方法と、どこかから指南宮まで行くバスに乗って行く方法があります。私が指南宮に行った時は萬芳社区駅からバスに乗りましたが、集應廟はその時に途中下車した木柵市場の近くにありました。

主祭神は保儀尊王と保儀大夫の二神。保儀尊王と保儀大夫への信仰は、清代に福建の安渓より台湾に移住してきた高氏、張氏、林氏の人々がもたらしました。この三氏は主に茶業に従事し、台北の南地区に広がって住んでいました。

日本による領有の直前であった咸豊年間、萬華で福建の泉州出身者同士の械闘=武力抗争が発生しました。同じ泉州出身でも、より狭い地区の出身者同士の縄張り争いにより起こったものです。

この抗争が自分たちに及ぶのを恐れた高氏、張氏、林氏は、故郷より将来した保儀尊王の神像、その夫人の神像、香炉などをそれぞれ分けて保護することに決定。くじ引きの結果、高氏が保儀尊王の神像、林氏が夫人の神像、張氏が香炉を分けられることになりました。

香炉を得た張氏が創建したのが、この木柵集應廟。1894年に建てられました。高氏は景美集應廟、林氏は萬隆集應廟をそれぞれ建てて、信仰の命脈を保っています。

保儀尊王と保儀大夫は、安史の乱のときに河南の睢陽を死守した太守の許遠、武将の張巡のことです。本来は許遠が保儀尊王、張巡が保儀大夫に封じられています。ところが、ここではそれが逆になり、許遠が保儀大夫、張巡が保儀尊王だとされています。この二神は「雙忠」として併祀されることが多く、ワンセットの神様になっているため時に入れ違うことがあるようです。

左右に配されている雷萬春と南霁云は、張巡麾下の武将です。

他に関聖帝君や文昌帝君など人気の神様も祀られています。武将としては格上のはずの関聖帝君が脇に祀られているのは、後からつけたしでお招きしたからでしょう。

これは学問の神様・文昌帝君にあやかった文昌筆。文昌筆が置かれている廟は多いですが、殆どはこのようなオブジェになっており、本物の筆を文昌筆にしているのは芝山巌恵済宮など少数の廟でしか目にしません。

二神の睢陽での奮戦を称える扁額。

他の廟でもこういうことはあるんですけど、なんでこういうきれいな天井絵のところに電灯つけちゃうのかなと思います。

これは岳飛の詩『満江紅』にある「駕長車踏破 賀蘭山缺(長車に乗って賀蘭山を踏破する)」を描いたものです。

実はここは最初から行くつもりだったわけではなく、勘違いと偶然が重なって見つけたものです。しかし、ここに行けたことはかえってラッキーでした。